【時事・日本とイスラエル】北朝鮮問題と聖書預言

核戦争の脅威
北朝鮮の核・ミサイル開発

北朝鮮の核・ミサイル開発によって、核の脅威が高まっています。アメリカのトランプ政権は北朝鮮に核・ミサイル開発を放棄させたいと考えていると思いますが、国家存続のために北朝鮮は核開発を断念することはないでしょう。もし、アメリカが北朝鮮を敵国指定から外し、金正恩体制を保障すれば、アメリカ本土に届くICBM(大陸間弾道ミサイル)を放棄することは考えられるかもしれませんが、核を手放すことはないように思います。

核の脅威

アメリカは国連の安全保障理事会で北朝鮮への厳しい制裁決議を採択しようとしましたが、ロシアと中国の賛成が得られず、最も厳しい内容は削除されました。もし、より厳しい制裁が採択され、北朝鮮が本当に追い詰められる状況になれば、核を放棄するどころか、実際に核を使う危険性は高まるでしょう。そすると日本は大変深刻な状況に置かれることになるでしょう。

日本のピンチを救うユダヤ人

かつて、日露戦争に際し、日本に資金援助をしてくれる国がどこにもなかった時、ユダヤ人の銀行家ヤコブ・シフが多額の資金援助をして日本を勝利へと後押ししました。日本人も多くのユダヤ人を助けていますが、日本人とユダヤ人の間には不思議な友好関係があるようです。この度の北朝鮮による核の脅威が現実のものとなれば、アメリカからの助けではなく、ユダヤ人からの働き掛けがあるかもしれません。

イスラエル回復の聖書預言

旧約聖書エレミヤ書30章1~3節にこのような預言があります。「主からエレミヤに臨んだ言葉。『イスラエルの神、主はこう仰せられる、わたしがあなたに語った言葉を、ことごとく書きしるしなさい。主は言われる、見よ、わたしがわが民イスラエルとユダの繁栄を回復する日が来る。主がこれを言われる。わたしは彼らを、その先祖に与えた地に帰らせ、彼らにこれを保たせる』。」

北イスラエルと南ユダ

かつての統一イスラエル王国は北イスラエルと南ユダの南北に分裂し、北イスラエルはB.C.722にアッシリヤの捕囚となり、南ユダはB.C.586にバビロンの捕囚となりました。1948年にイスラエル共和国がパレスチナの地に建国されましたが、その中心は南ユダの二部族であり、イスラエル十二部族の全てが回復された訳ではありません。イスラエルという国名は全イスラエル十二部族の回復を前提とした名前なのでしょう。今も南ユダの人たちは失われた北イスラエル十部族を世界中に探し求めていますが、彼らは日本にその末裔がいるのではないかと考えているようです。

日本の有事に際して

もしかしたら、日本の有事に際して、ユダヤ人が日本人をパレスチナの地に救出するということが起こるのかもしれません。日本に多くの北イスラエル十部族の末裔がおり、ユダヤ人もそのように考えており、それが聖書の預言の成就であるとすれば、そのような時が近づいていると考えることもできるのかもしれません。皆さんはどう思われますでしょうか。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 8章1~10節

そのころ、また大ぜいの群衆が集まっていたが、何も食べるものがなかったので、イエスは弟子たちを呼び寄せて言われた、「この群衆がかわいそうである。もう三日間もわたしと一緒にいるのに、何も食べるものがない。もし、彼らを空腹のまま家に帰らせるなら、途中で弱り切ってしまうであろう。それに、なかには遠くからきている者もある」。

弟子たちは答えた、「こんな荒野で、どこからパンを手に入れて、これらの人々にじゅうぶん食べさせることができましょうか」。イエスが弟子たちに、「パンはいくつあるか」と尋ねられると、「七つあります」と答えた。

そこでイエスは群衆に地にすわるように命じられた。そして七つのパンを取り、感謝してこれをさき、人々に配るように弟子たちに渡されると、弟子たちはそれを群衆に配った。また小さい魚が少しばかりあったので、祝福して、それをも人々に配るようにと言われた。

彼らは食べて満腹した。そして残ったパンくずを集めると、七かごになった。人々の数はおよそ四千人であった。それからイエスは彼らを解散させ、すぐ弟子たちと共に舟に乗って、ダルマヌタ地方へ行かれた。

四千人に食事を提供した

以前にも男だけで五千人の人々を五つのパンと二匹の魚で満腹にさせたという出来事が記されていましたが、同じような出来事がここにも記されています。一つ不思議に思うことは、以前に同じような出来事を経験している弟子たちが、ここではそのことに思いが至っていないということはどういうことなのでしょうか。

まるで初めてのように

イエスを通して働く神様の超自然的な力とは、それを目の当たりに体験した者にとっても、決して当たり前のことにはならないということなのでしょうか。ここでも、まるで初めてそのような出来事が起こったかのように、神様の超自然的な力がイエスを通し、弟子たちを通して、群衆に及んだということが記されています。

生きて働く神様の超自然的な力

これが事実の記録であるとすれば、これもまた神様の超自然的な力がこの地上に働くことを示している出来事であろうと思います。そのような神様を中心にして生きることが大切なことだと思います。歴史も世界情勢も神様を中心に動いているのだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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