イスラエルと日本の類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として日本で10年以上過ごしたことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介します。
お盆
日本には、7月15日あるいは8月15日に「お盆」(盂蘭盆)と呼ばれる行事がある。今日では一般に仏教行事の一つとされているが、日本に仏教が入るずっと前から、日本には「祖霊祭(たままつり)」というものがあった。これがお盆になった。
古代イスラエルの「収穫祭・仮庵祭」
実は古代イスラエルでも、ユダヤ暦の7月15日に大きな祭があった。これは「収穫祭」または「仮庵(かりいお)の祭」と呼ばれるもので、「過越の祭」と並び古代イスラエルの二大祭であった。
日本と古代イスラエルの二大年中行事
不思議なことに、十部族のいた北王国イスラエルでは、この収穫祭は月遅れの8月15日に行われていた。古代イスラエルでは、正月の祭(種を入れないパンの祭すなわち過越祭)と、収穫祭(仮庵の祭とも言う。7月15日あるいは8月15日)の二つが、年間を通じて最も盛大な祭であった。同様に、日本でも古来、この同じ時期に、盛大な祭が行われてきたのである。
盆踊り
お盆の時、日本人は「盆踊り」をする。これはじつは、仏教の踊りではなく、古代から日本で行われていた「歌垣(うたがき)」と呼ばれる踊りである。歌垣は、上代(大和時代)から行われていたもので、奈良朝時代に至ってとくに盛んになった。これは全国の男女の間に流行し、男女はそこで歌い、踊り、見合いなどをして結婚を約束した。
踊りの仕方
踊りの仕方は、男女が交互になって輪をつくり、一人の音頭取りの歌につれて拍子をとりながら踊り、人数の増加するに従って二重、三重の輪をつくる、というものであった。こうした風習は、古代イスラエルにもあった。古代イスラエルにおいては7月15日からの収穫祭(北王国では8月15日から)に、踊り会があり、未婚の男女はその夜の踊りと出会いのときを楽しみにしていた。
略奪結婚の風習
かつて日本では、盆踊りのときに「略奪結婚」をする風習があったと聞いた。とくに九州の大分では、その夜大勢が踊り狂う間に、男子は自分の想う娘を担ぎ去る風習があったという。しかし、じつは古代イスラエルにも、これと同じ風習があったのである。
聖書に記されたイスラエルの略奪結婚の記録
聖書には、古代イスラエルにおいて、ベニヤミン族の女性が根絶やしにされてしまった出来事があったと述べている。そのときイスラエルの長老たちは、どうしたらベニヤミン族を存続させられるだろうかと話し合った。「そうだ。毎年、シロ(十部族のいた北王国の町)で主の祭がある」。そしてベニヤミン族で生き残った男たちに命じた。「行って、ぶどう畑で待ち伏せして、見ていなさい。もしシロの娘たちが踊りに出て来たら、あなたがたはぶどう畑から出て、めいめい自分の妻をシロの娘たちのうちから捕え、ベニヤミンの地に行きなさい」ベニヤミン族はそのようにした。彼らは踊っている女たちを略奪し、自分たちの数にしたがって連れて来た。(旧約聖書士師記21章16~23節)(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、古代イスラエル人の記録であり、日本人の信仰と風習のルーツでもあります。キリスト教の教典としてではなく、日本人の信仰の原点を知るために聖書を読んでみてください。
新約聖書 マルコによる福音書 11章20~26節
朝はやく道をとおっていると、彼らは先のいちじくが根元から枯れているのを見た。そこで、ペテロは思い出してイエスに言った、「先生、ごらんなさい。あなたがのろわれたいちじくが、枯れています」。
イエスは答えて言われた、「神を信じなさい。よく聞いておくがよい。だれでもこの山に、動き出して、海の中にはいれと言い、その言ったことは必ず成ると、心に疑わないで信じるなら、そのとおりに成るであろう。
そこで、あなたがたに言うが、なんでも祈り求めることは、すでにかなえられたと信じなさい。そうすれば、そのとおりになるであろう。また立って祈るとき、だれかに対して、何か恨み事があるならば、ゆるしてやりなさい。そうすれば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまちを、ゆるしてくださるであろう。
〔もしゆるさないならば、天にいますあなたがたの父も、あなたがたのあやまあちを、ゆるしてくださらないであろう〕」。
本当にそんなことがあったのでしょうか
本当に一晩でいちじくの木は根元から枯れてしまったのでしょうか。本当にそんなことがあるのでしょうか。それだけではありません。山に向かって動いて海の中にはいれと言えば、そのとおりになるとイエスは教えたと書いてあります。本当にイエスはそのようなことを教えたのでしょうか。それは人間の常識では考えられないことは確かだと思います。
神様を中心にする
しかし、そんなことはあり得ないという人間の思いを中心にするのではなく、神様を中心にすることをイエスはいつも教えたこともまた確かだと思います。それが神の国だと思います。天地万物を造った神様ですから、いちじくの木が枯れる、山が動いて海に入るということがないとは言えないでしょう。「神を信じなさい」とは、神には出来ると信じなさいということでしょう。
すでにかなえられたと信じなさい
だから、祈ったら、すでにかなえられたと信じなさいとイエスは教えたとあります。確かに理屈で考えれば、そういうことでしょう。「たぶんだめだろうな」という祈りはあり得ないということだと思います。もちろん、祈った通りに全て神様が叶えてくれるということでもないでしょう。私たちの祈りに力があるのではなく、力は神様にあるということでしょう。神様が良しとすること、つまり最善は必ず成されるということでしょう。それは、祈ったら、神様に任せるということでもあると思います。それが神様を中心にするということではないでしょうか。
神様の声なき声
そして、祈りと同時に赦しについてもイエスは教えました。神様に思いを向けて祈る時、単なる私の願いだけではなく、神様の願いを求める時、誰かに恨みを抱いていたことに気づいたりする、つまり神様の声なき声を聞くことがあると思います。それに従うこともまた神様を中心にすることだと思います。このように神様に思いを向けて祈る時を持つことは、神様を中心にして幸いな人生を生きるためにはとても大切だと思います。
いかがでしたか
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本書の目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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