日本とイスラエルの類似した習慣について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として日本に10年以上滞在したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介しています。
十五夜
日本には旧暦の八月十五日(新暦では九月中旬~十月上旬)に「十五夜」という風習がある。ユダヤ暦ではちょうど七月(ティシュレイ)の十五日にあたり、仮庵の祭の日と同じである。つまり日本で「十五夜」を行っているとき、ユダヤでは仮庵の祭を行っている。
仮庵を建てる
「十五夜」のとき、日本人は伝統的にしばしば仮庵を建て、そこに家族や親戚が集まった。ススキを花瓶にさし、団子や里芋や梨など、その時期の成り物を供えて、「中秋の名月」をながめて、お月見をする。
古代イスラエルにも同じ風習があった
古代イスラエルにおいては、北王国イスラエルでは八月十五日に、南王国ユダでは七月十五日に、仮庵を建て、そこに家族や親戚が集まった。そしてその時期の成り物を供え、中秋の名月を鑑賞しながら、その年の収穫を喜んだのである(旧約聖書レビ記23章39~42節)
収穫の初穂を神に捧げる
日本にはまた、古来、収穫の初穂を神に捧げる優美な風習がある。毎年十月(旧暦九月)に伊勢神宮を中心に行われる「神嘗祭(かんなめさい)」は、収穫の初穂を神に捧げる祭である。初穂を神に捧げる風習は、古代イスラエル人も同様に持っていた。「あなたの土地から取れる初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない」(旧約聖書出エジプト記34章26節)と聖書に記されている。
新年と仮庵の祭
興味深いことに伊勢神宮では、神嘗祭のときには、神宮で使われている衣や机、道具などがすべて新調される。新年を迎えるような気持ですべてを新調するのだという。ユダヤ教でも、収穫の祭である「仮庵の祭」が行われる月(ティシュレイの月、太陽暦では9~10月)は、また新年でもある。
皇室の新嘗祭
また、神嘗祭の約一か月後、皇室を中心に「新嘗祭(にいなめさい)」が行われる。これも収穫を捧げる収穫祭である。新嘗祭は午後六時に始まり、終了するのは午前一時頃である。そのとき天皇は、収穫の一部を神に捧げ、そののちそれを神の前で食する。天皇はこれによって、民を導く指導者としての役割を神から授けられるのである。
モーセ、アロンも同様であった
かつて古代イスラエルでも、イスラエルの指導者たち——モーセ、アロン、長老七十人、その他——は、神の前で食することを行った(旧約聖書出エジプト記24章9~11節)。
大嘗祭の仮庵
また、天皇が即位後初めて行う新嘗祭を、とくに「大嘗祭(だいじょうさい)」と呼ぶ。大嘗祭のときには、収穫を捧げるための特別な仮庵が建てられる。大嘗祭も午後六時から翌朝未明まで行われる。古代イスラエル、また今日のイスラエルにおいても、仮庵の祭は日没と共に始まる。人々は仮庵の中に入り、それを収穫で飾り、神の御前で共に食べて喜ぶのである。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はイスラエル人の歴史の記録であり、私たち日本人の信仰、習慣のルーツです。キリスト教とは切り離して、日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 マルコによる福音書 12章13~17節
さて、人々はパリサイ人やヘロデ党の者を数人、イエスのもとにつかわして、その言葉じりを捕らえようとした。彼らはきてイエスに言った、「先生、わたしたちはあなたが真実なかたで、だれをも、はばかられないことを知っています。あなたは人に分け隔てをなさらないで、真理に基いて神の道を教えてくださいます。
ところで、カイザルに税金を納めてよいでしょうか、いけないでしょうか。納めるべきでしょうか、納めてはならないのでしょうか」。
イエスは彼らの偽善を見抜いて言われた、「なぜわたしをためそうとするのか。デナリを持ってきて見せなさい」。彼らはそれを持ってきた。そこでイエスは言われた、「これは、だれの肖像、だれの記号か」。彼らは「カイザルのです」と答えた。するとイエスは言われた、「カイザルのものはカイザルに、神のものは神に返しなさい」。彼らはイエスに驚嘆した。
それは自己中心である
祭司長、律法学者、長老、パリサイ人といったユダヤ教の指導者たち、またヘロデ党とありますので、政治家たちを含むユダヤの中心的な人たちはイエスに対して悪意を抱いていたことは明らかだと思います。その態度は神様の前に真理を求めるという姿ではなく、とにかくユダヤ組織に反する者は退けるという自己中心に他ならないと思います。
神を中心にすることは主義主張ではない
カイザルとはローマ皇帝ですから、ローマに税金を納めるべきだと答えれば、ユダヤ人たちからの反感を買い、納めるべきではないと答えれば、ローマに対する反逆だと訴えることができると考えたのでしょう。しかし、神様を中心にして生きるとは、決して何かの主義主張ではありません。ローマを支持するとか、ユダヤを支持するとかそういうことではないと思います。全ては神様の支配の下に置かれていることを覚えて、神の前に正しく生きることに他なりません。カイザルのものはカイザルに、神のものは神に、そういうことだと思います。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」