【キリスト教・宗教】私の信仰の歩み(2)

この道をまっしぐら

クリスチャンになった私は毎週日曜日の礼拝(クリスチャンは毎週日曜日の集会を礼拝と呼んでいます)には必ず出席しました。確かその時勤めていた学校の卒業式がたまたま日曜日になりましたが、私は教会の礼拝に出席し、卒業式は欠席しました。教頭先生に向かって、日曜日に学校行事を行うなどとんでもないことだと言った記憶があります。日曜日は教会の礼拝に出席することが人間として正しい生き方だと考えていたということだと思います。

真理を求め続ける歩み

聖書の神こそ真理であり、聖書の中にこそ真理があるということであれば、的外れな人生を送らないようにするためには聖書をよく知る必要があるということになります。私は聖書を学ぶテキストを買って来たり、聖書セミナーにも参加して学びましたが、正直言ってそれだけでは物足りないと感じました。もっと本格的に聖書全体をしっかり学びたいと思って、通信で学べる神学校に入学しました。

この真理を伝えたい

当時、私は学校の生徒たちにも、職員にもキリストの話ばかりしていたように思います。クリスマスには多くの生徒たちが教会に来てくれました。自宅に呼んで話した生徒たちもいました。職員の中からも、生徒の中からもクリスチャンになる人が出てきました。2年制の神学校を卒業する頃には、キリスト教(プロテスタント)の牧師になりたいと考えるようになっていました。

高校教師を辞めて牧師に

私は35歳の時に高校教師を辞めて、家族で長野県に引っ越し、比較的長い歴史のあるキリスト教会(プロテスタント)の牧師になりました。毎週日曜日の礼拝の説教(聖書の話を50分程度していました)、毎週水曜日の午前と夜に行う祈祷会(日曜日ほどではありませんが、教会員が数人集まって、ひとりずつ祈ります)での説教(聖書の話を30分程度していたと思います)の他に、いくつかの家庭を定期的に(月1回だったと思います)訪問し、そこに教会員だけでなく、教会員の友達も招いて、賛美歌を歌ったり、聖書の話をしたりしました。

聖書を教える?

それ以外にもゴスペルクワイヤーを始めたり、バスケットボールチームを始めたり、継続的に聖書を勉強する会を始めたり、ありとあらゆる機会を作って、聖書を教えました。それは神学校で学んだ聖書の教えであり、聖書をそのまま読むというよりは、教え(西欧キリスト教神学、教義)に合うように聖書を解釈して読むという読み方だったと今は思います。もちろんそれは正統的な西欧キリスト教神学と言われる教えだと思いますが、正統にも幅があるのです。やがてその幅の間で私は悩むようになります。そのことについては次回に書きたいと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書を読みましょう。聖書は宗教の戒律が記された教典ではなく、本来は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の信仰の源泉でもあります。神様を中心として生きるために、キリスト教とは切り離して、聖書をそのまま読んでみてください。

新約聖書 マルコによる福音書 11章12~19節

翌日、彼らがベタニヤから出かけてきたとき、イエスは空腹をおぼえられた。そして、葉の茂ったいちじくの木を遠くからごらんになって、その木に何かありはしないかと近寄られたが、葉のほかは何も見当たらなかった。いちじくの季節でなかったからである。そこで、イエスはその木にむかって、「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われた。弟子たちはこれを聞いていた。

それから、彼らはエルサレムにきた。イエスは宮に入り、宮の庭で売り買いしていた人々を追い出しはじめ、両替人の台や、はとを売る者の腰掛をくつがえし、また器ものを持って宮の庭を通り抜けるのをお許しにならなかった。

そして、彼らに教えて言われた、「『わたしの家は、すべての国民の祈の家ととなえられるべきである』と書いてあるではないか。それだのに、あなたがたはそれを強盗の巣にしてしまった」。

祭司長、律法学者たちはこれを聞いて、どうかしてイエスを殺そうと計った。彼らは、群衆がみなその教に感動していたので、イエスを恐れていたからである。

いちじくの季節ではなかった

イエスはいちじくの実がなる季節を知らなかったのでしょうか。いちじくの季節でなければ、実がなくて当然だと思いますが、イエスは「今から後いつまでも、おまえの実を食べる者がないように」と言われました。弟子たちはこれを聞いていたとあります。なぜイエスはこのように言ったのでしょうか。私には分かりません。特別な意味はなかったのかもしれません。

宮に入ったイエス

エルサレムの神殿には、売り買いする人、両替人、はとを売る者がいたようです。神殿で神様に捧げる動物は傷のないものでなければならないと決められていたので、自分で持って来た動物は拒否されたのでしょう。ユダヤ教指導者公認の動物でなければいけないということで、神殿で売られていたのだと思います。また、神殿で捧げる硬貨も特別な硬貨で、神殿で手数料を取って両替していたのでしょう。

宗教が商売になる

そうやって、神殿で商売が行われていたということだと思います。イエスは「強盗の巣」と言っていますので、不当な料金を取られていたのではないでしょうか。宗教が卑劣な金儲けの手段となっていました。イエスはこのような人々を追い出しました。宗教を商売にすることを許さなかったのです。大切なことは神様を中心にして生きることであって、宗教をやることではない。群衆はイエスの教えに感動していました。このままではユダヤ教が人々から見放されるてしまうのではないかと祭司長、律法学者たちは恐れたのでしょうか。彼らはイエスを殺す計画を立て始めます。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」