「アメリカでは、相手への感謝の気持ちは、言葉でオーバーなくらいに表現しますが、日本人はお土産など、言葉でない表現方法で表す」と言うのは日本在住24年(執筆当時)、ハワイ出身のアメリカ人ルース・ジャーマン・白石さん。彼女の著書「日本人が世界に誇れる33のこと」から紹介します。
こんなエピソードがありました
英語圏からやってきた若い女性が、日本の職場に馴染めずに悩んでいたときのことです。コミュニケーションを重んじる英語圏の人からすると、日本語が不自由なため自分の気持ちを表現できないことでフラストレーションがたまり、疎外感を感じたといいます。
クッキーを焼いてみたら?
そのことをホストファミリーに相談したところ、「職場のみんなのためにクッキーを焼いてみたらどう?」とアドバイスされたそうです。日本人のみなさんなら「いいアイディア!」と思うかもしれませんが、わたしたちは「Why?」と思ってしまいます。美味しくつくれるかどうか自信がないし、それこそ照れくさいのです。それでも彼女はホストファミリーのアドバイスどおり、クッキーを焼いて職場にもっていきました。「わたしが焼いたクッキーです。よかったらどうぞ」とみんなに配って回ったところ、本人も驚くほど、一気に同僚との距離が縮まったそうです。
こんなこともありました
不動産仲介業を行っている会社での話ですが、先日、ある物件の売買契約がまとまりました。しかし地価や物価の下落の影響から、売り主の希望価格より何割か安い金額で売却することになってしまいました。そういう場合、売り主は、普通はソンをしたと思うはずです。
お礼の品
ところがこの売り主は違いました。品のいい白髪の女性でしたが、われわれが仲介業者と行政書士の立ち合いで契約を結ぶ当日、来社されたその女性の手にはいかにも高級そうな紙袋がありました。それはなんと、購入者と仲介業者、そして行政書士に対するお礼の品だったのです。
その心遣いに感動
それも大仰に渡すのではなく、「このたびは買ってくださりありがとうございます。お世話になりました」とごく自然に、さらりと差し出されたのです。わたしはその心遣いに感動し、頭が上がらない思いでいっぱいになりました。
自然と身についている
おそらく七十歳代の方でした。若い日本人よりも、もっと古風な日本式の礼儀作法を子供のころから学ばれてきたのだと思います。どういうときに、どんな配慮が必要か、礼を尽くすとはどういうことか、自然と身についているように見えました。
美しい日本の習慣
わたしも、日本のみなさんがそうであるように、そういうことが自然とできる人間でいたいと思います。最近は、お中元やお歳暮、年賀状など、日本らしい気持ちの表し方をインターネットですませたり、「虚礼だから」と言ってなくす方向にあるようですが、わたしはこの美しい日本の習慣を大事にしていきたいと思っています。(本からの引用は以上です。)
日本人が大切にしてきたもの
太古の昔から日本人が継承して来た、このような素晴らしい風習を大切にして行きたいと思います。それは自己中心を退けて、神様を中心にして生きるという生き方から出て来たものだと思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の心の源泉でもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。
新約聖書 ルカによる福音書 1章5~17節
ユダヤの王ヘロデの世に、アビヤの組の祭司で名をザカリヤという者がいた。その妻はアロン家の娘のひとりで、名をエリサベツといった。ふたりとも神のみまえに正しい人であって、主の戒めと定めとを、みな落度なく行っていた。ところが、エリサベツが不妊の女であったため、彼らには子がなく、そしてふたりともすでに年老いていた。
さてザカリヤは、その組が当番になり神のみまえに祭司の務をしていたとき、祭司職の慣例に従ってくじを引いたところ、主の聖所にはいって香をたくことになった。香をたいている間、多くの民衆はみな外で祈っていた。すると主の御使(みつかい)が現れて、香壇の右に立った。
ザカリヤはこれを見て、おじ惑い、恐怖の念に襲われた。そこで御使が彼に言った、「恐れるな、ザカリヤよ、あなたの祈が聞きいれられたのだ。あなたの妻エリサベツは男の子を産むであろう。その子をヨハネと名づけなさい。
彼はあなたに喜びと楽しみとをもたらし、多くの人々もその誕生を喜ぶであろう。彼は主のみまえに大いなる者となり、ぶどう酒や強い酒をいっさい飲まず、母の胎内にいる時からすでに聖霊に満たされており、そして、イスラエルの多くの子らを、主なる彼らの神に立ち帰らせるであろう。
彼はエリヤの霊と力とをもって、みまえに先立って行き、父の心を子に向けさせ、逆らう者に義人の思いを持たせて、整えられた民を主に備えるであろう」。
ザカリヤとエリサベツ
ここにはヘロデがユダヤの王であった時と記されており、これが歴史的記録であることを示しているようです。そして、ザカリヤもエリサベツもアロンの系図に属する者であり、正統な祭司職にあるということでしょう。また、ふたりとも神の前に正しい人であり、神の戒めを落度なく行っていたと記されています。
神様にある可能性
ふたりの間には子供がなかったとあります。子供は神様からの祝福だと思いますが、子供がないからと言って、必ずしも神様に祝福されていないということでもないと思います。神様の前に正しい人であっても、子供がないということもあるということでしょう。ふたりともすでに年老いていて、もう子供を授かる可能性はなかったということだと思います。ところが、そのふたりに子供が与えられます。神様がその祈りに応えてくださったとあります。人間的には可能性がなかったとして、神様には可能性があることを思わされます。
その子供の使命
しかも、その子供は神様から特別な使命を与えられた子供であるようです。それはイスラエルの多くの人たちを神様に立ち返らせる働きだとあります。エリヤとはイスラエルを代表する預言者です。父親がその子供のことを心にかけ、神様を中心にして生きるように教え、逆らう者には正しい心を与え、自己中心を退けて、神様を中心にして生きるという神様の民を整える。それがこの子供の使命だということではないかと思います。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」