日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。
「あなた」と「アター」
ヨセフ・アイデルバーグは、日本語とヘブル語の間には意味も発音もよく似た言葉が非常に多いと述べている。日本語の「あなた」は、九州では「あーたー」と言い、「あんた」と言うこともある。これはヘブル語でもアター、またはアンタである。
「アルク」「ハカル」
日本語の「アルク」(歩く)は、ヘブル語でハラクと言う。日本語の「ハカル」(測る)に対し、ヘブル語でも「ハカル」は、調べるとか測るの意味である。
「ホロブ」と「ホレブ」
日本語の「ホロブ」(滅ぶ)に対し、ヘブル語の「ホレブ」は、荒れるとか滅びるの意味である。
「テル」と「テウラー」
「テル」(照る)に対し、ヘブル語で「テウラー」は照明の意味である。
「メグル」と「マガル」
「メグル」(巡る)とか、「マガル」(曲がる)に対し、ヘブル語の「マガル」は円の意味である。
「トル」と「トル」
「トル」(取る)は、ヘブル語でも「トル」である。
「カマウ」と「カマル」
「カマウ」(構う)に対し、ヘブル語の「カマル」は同情を寄せるの意味である。
「ダマル」と「ダマム」
「ダマル」(黙る)は、ヘブル語で「ダマム」。
「ハシル」と「ハシ」
「ハシル」(走る)に対し、ヘブル語の「ハシ」は急ぐの意味である。
「ネムル」と「ヌム」
「ネムル」(眠る)に対し、ヘブル語の「ヌム」は、まどろむ、居眠りを意味する。
「イト」と「フト」
「イト」(糸)をヘブル語で「フト」という。
「ヌサ」と「ネス」
神社で使う「ヌサ」(幣。棒の先に紙垂(かみしで)をつけたもの)に対し、ヘブル語の「ネス」は旗の意味である。
「ウデ」と「ヤド」
日本語の「ウデ」(腕)に対し、ヘブル語で「ヤド」は手を意味する。
「カタ」と「カタフ」
「カタ」(肩)は、ヘブル語で「カタフ」である。
「オワリ」と「アハリト」
「オワリ」(終わり)を、ヘブル語で「アハリト」と言う。
「キョウ」と「カヨム」
「キョウ」(今日)は、ヘブル語で「カヨム」である。
「ツライ」と「ツァラー」
「ツライ」(辛い)に対し、ヘブル語で「ツァラー」は悩み、災難を意味する。
「カルイ」と「カル」
「カルイ」(軽い)は、ヘブル語で「カル」と言う。
「コオル」と「コール」
ヘブル語の「コール」は寒さや冷たさという意味だが、日本語の「コオル」(凍る)、また「コオリ」(氷)を思い起こさせる。
「サムライ」と「シャムライ」
日本語で「サムラウ」(侍う)と言うと、貴人のそばに仕えるとか護衛するの意味である。同様にヘブル語で、シャマルゥと言うと、守るの意味になる(旧約聖書創世記2章15節)。日本語では「サムラウ」から「サムライ」(侍)という意味が出た。ヘブル語でも、守るを意味するシャマルゥに、人の職業を意味する接尾語アイをつけると、シャムライ、すなわちサムライになる[たとえば建設することを意味するバナから、建設者を意味するバナイという言葉が派生するのと同じである。シャムライ(サムライ)は現代ヘブル語にはないが、ヘブル語文法を完全に満たしている]。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書はイスラエル人の歴史の記録であり、日本人の文化、伝統にも深い関係があると考えられます。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 ルカによる福音書 2章21~35節
八日が過ぎ、割礼をほどこす時となったので、受胎のまえに御使が告げたとおり、幼な子をイエスと名づけた。それから、モーセの律法による彼らのきよめの期間が過ぎたとき、両親は幼な子を連れてエルサレムへ上った。
それは主の律法に「母の胎を初めて開く男の子はみな、主に聖別された者と、となえられねばならない」と書いてあるとおり、幼な子を主にささげるためであり、また同じ主の律法に、「山ばと一つがい、または、家ばとのひな二羽」と定めてあるのに従って、犠牲をささげるためであった。
その時、エルサレムにシメオンという名の人がいた。この人は正しい信仰深い人で、イスラエルの慰められるのを待ち望んでいた。また聖霊が彼に宿っていた。そして主のつかわす救主に会うまでは死ぬことはないと、聖霊の示しを受けていた。
この人が御霊(みたま)に感じて宮にはいった。すると律法に定めてあることを行うため、両親もその子イエスを連れてはいってきたので、シメオンは幼な子を腕に抱き、神をほめたたえて言った、
「主よ、今こそ、あなたはみ言葉のとおりに
この僕を安らかに去らせてくださいます、
わたしの目が今あなたの救(すくい)を見たのですから。
この救はあなたが万民のまえにお備えになったもので、
異邦人を照らす啓示の光、
み民イスラエルの栄光であります」。
父と母とは幼な子についてこのように語られたことを、不思議に思った。するとシメオンは彼らを祝し、そして母マリヤに言った、「ごらんなさい、この幼な子は、イスラエルの多くの人を倒れさせたり立ちあがらせたりするために、また反対を受けるしるしとして、定められています。——そして、あなた自身もつるぎで胸を刺し貫かれるでしょう。——それは多くの人の心にある思いが、現れるようになるためです」。
ユダヤ教の律法にしたがって
ここにはイエスのためにユダヤ教の律法に忠実に従って、エルサレムの神殿で神様にいけにえをささげ、そこでシメオンという老人に出会い、不思議な言葉をかけられたということが記されています。シメオンも神様の霊に満たされ、導かれていたと記されており、イエスこそ神様が遣わした救主であることをルカは示そうとしているのだと思います。
異邦人を照らす光、イスラエルの栄光
その内容は、異邦人を照らす啓示の光であり、み民イスラエルの栄光であると記されています。つまり、ただイスラエルだけでなく、全人類が神様に立ち帰って、神様を中心にして生きることができるために神様が遣わしたメシヤだということをルカはここで伝えようとしているのだと思います。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」