【日本とイスラエル】「記紀」と聖書の類似

日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」からご紹介いたします。

ダビデ王と崇神天皇

「記紀」(古事記と日本書紀)に記された物語と、聖書の物語との間には、しばしば不思議な類似性が見られる。たとえば、イスラエル第二代の王ダビデの物語と、日本の崇神(すじん)天皇(第十代、紀元前148~前30年)の物語との類似性である。

三年のききんと悪疫

聖書には、ダビデ王の時代に三年間のききんがあり(旧約聖書Ⅱサムエル記21章1節)、それに続いて悪疫により七万人が死んだとある(同24章15節)。一方、日本書紀によれば、崇神天皇の治世に悪疫が三年続き、人口の半数が死んだと書かれている。両方の王は、この惨状の責任を感じ、神に罰を申し立てた。ダビデ王はそれを預言者を通じて神に願い、一方、崇神天皇は「占い」を行って神に願った。

イドミとエドム

さらに古事記をみると、崇神天皇は「イドミ」(伊杼美、後の伊豆美)の地で戦ったと書かれている。一方聖書をみると、ダビデは「エドム」の地で戦った(旧約聖書Ⅱサムエル記8章14節)。ここには、「イドミ」と「エドム」の音の類似だけではなく、物語の類似性も見られる。

ソロモン王と垂仁天皇

聖書によればまた、ダビデ王の子はソロモンであった。ソロモンは天の神のために初めて神殿を建設した。一方日本では、崇神天皇の子、垂仁(すいにん)天皇は、はじめての神社——伊勢神宮を建設している。ほかにも、両者の間には興味深い対応関係が見られる。

サウル王と仲哀天皇

つぎに、イスラエル初代の王サウルと、日本の仲哀(ちゅうあい)天皇(第14代)の間にも、興味深い対応関係が見られる。聖書には、サウルは「美しい若い男で・・・民の誰よりも肩から上だけ高かった」(旧約聖書Ⅰサムエル記9章2節)と記されている。一方日本書紀には、仲哀天皇は「容姿端正で、身丈は10尺(約3メートル)あった」と記されている。両者とも身長が非常に高く、美男子だった。

アナトテとアナト

サウルは、ベニヤミン族の出身だったが、ベニヤミン族の領地には「アナトテ」という有名な町がある。一方、仲哀天皇は、古事記によれば「アナト」(穴門)の地で天下を治めた。「アナトテ」と「アナト」はよく似ている。

ケモシュとクマソ

サウルは、モアブ人と戦った(旧約聖書Ⅰサムエル記14章47節)。モアブ人は聖書で「ケモシュ人」とも呼ばれている(旧約聖書民数記21章29節)。この「ケモシュ」は、不思議なことに、仲哀天皇の戦った相手「クマソ」(熊蘇)に音が似ている。

エビスとエブス

またサウルは、神の御言葉に従わない罪を犯して、早死にした。同様に、仲哀天皇も神の御言葉に従わなかったために早死にしたと、書かれている。ほかにも、日本の神話と聖書の間には、部族名に類似が見られる。たとえば、古代大和民族と戦ったという蝦夷(エミシ、エビス)部族の名は、古代イスラエル人が戦った「エブス」人に似ている(旧約聖書ヨシュア記15章63節)。(本からの引用は以上です。)

聖書と日本人の心

これらは古代日本に聖書の物語を知る人々が渡来した証拠とまでは言えないかもしれませんが、その可能性を感じさせるものだと思います。いずれにしても、自己中心を退けて、神様を中心にして生きることは聖書が教える幸いであり、日本人の心であると言うことはできると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の心の原点だと思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 2章1~7節

そのころ、全世界の人口調査をせよとの勅令が、皇帝アウグストから出た。これは、クレニオがシリヤの総督であった時に行われた最初の人口調査であった。人々はみな登録をするために、それぞれ自分の町へ帰って行った。

ヨセフもダビデの家系であり、またその血統であったので、ガリラヤの町ナザレを出て、ユダヤのベツレヘムというダビデの町へ上って行った。それは、すでに身重になっていたいいなずけの妻マリヤと共に、登録するためであった。

ところが、彼らがベツレヘムに滞在している間に、マリヤは月が満ちて、初子を産み、布にくるんで、飼葉おけの中に寝かせた。客間には彼らのいる余地がなかったからである。

イエスの誕生

ここには聖霊(神様の霊)によってマリヤのお腹の中に与えられた幼な子がベツレヘムという町に滞在している間に、しかも家畜小屋で生まれたという出来事が記されています。それは皇帝アウグストによる人口調査の勅令が出た時のことであり、クレニオがシリヤの総督だった時のことだと記されています。つまり、神話や創作ではなく、歴史的事実としてルカは記しているのだと思います。

処女降誕

もちろん、私にはこれが歴史的事実だと断定できる証拠はありませんが、旧約聖書にもそのように預言され、マタイの福音書にも同じ内容の出来事が記されているところから判断するなら、1世紀当時の人々の間で、このような話が共有されていたのだと思います。

大切なことは神様を中心にして生きること

ただ、それぞれ信じ、確信するところはあって良いと思いますが、大切なことは自己中心、人間中心を退けて、神様の願いや思いを中心にして生きることだと思います。それが聖書のメッセージではないかと私は思います。神学の違いや、宗教の違いに捕われて、互に対立することは神様の願いではないと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」