【日本人と日本文化】日本人が世界に誇れる「連携力」

このチームで頑張る

「日本人のチームの連携力は、お互いを信頼していることから生まれるのでしょう。」と語るのは、日本在住24年(執筆当時)、ハワイ出身のアメリカ人、ルース・ジャーマン・白石さん。彼女の著書「日本人が世界に誇れる33のこと」から紹介します。

いったん受けたら最後までやる

その信頼感は、受けた仕事に対する責任感から生まれているのだと思います。わたしは長く日本で仕事をしていて、日本人から「とりあえず仕事を受けて、それからどうするか考える」などという話を聞いたことがありません。日本人と仕事をしていて感じるのは、「いったん受けたら最後までやる覚悟」です。

それが日本人のスピリット

だから、仕事でもボランティアでも友人との約束でも、不安があれば受けません。迷惑をかける可能性があると思ったら、最初から受けないのです。その代わり、引受けたら、自分がやりたいことを犠牲にしてでも最後まで成し遂げる。そういうスピリットを、日本人はもっています。

われわれが頑張ればなんでもできます

そのスピリットをみんながもっているから、仕事仲間を信頼し、すばらしい連携力を発揮できるのでしょう。わたしはそんな日本が大好きです。そして日本では、「あなたが頑張れば、何でもできます」と言うより、「われわれが頑張ればなんでもできます」と言ったほうがよく通じます。

みんなでというリアルなチームワーク

一人で抱えて悩むのではなく、報・連・相を通じて先輩や他のチームメンバーと一緒に軌道修正をしながら、課題を着実に解決していく。一人の不安が全員のチャレンジに生まれ変わり、一人でのグルメがみんなのご馳走になる。これがリアルなチームワークです。

We Did It.

日本では、「I Did It.」より「We Did It.」のほうが重視されるし、みんなが求めます。アメリカではあくまで「I Did It.」を求める気持ちが強く、「We Did It.」は、チームスポーツにあるくらいで仕事面にはほとんど感じません。ボスに認められようとして、「それはわたしがやりました。わたしは成功者です」ということをアピールするのに必死なのです。

これが日本人の強さ

たった一人で達成するのではなく、チーム全員で達成したほうがいい。この考え方を潜在的に身につけていることこそ、日本人の強さだと思います。(本からの引用は以上です。)

良いものを見極める目

ルースさんの本を読んでいると、日本人が潜在的に持っている優れた点にあらためて気づかされます。しかしながら、今の日本には、欧米の文化や価値観を無批判に良いものとして受け入れ、日本的なものは良くないとする風潮もあって、問題だと感じます。良いものを見極めることが大切だと思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の心です。キリスト教の教典としてではなく、日本人として何が良いものなのかを見極める目を養うために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 3章1~6節

皇帝テベリオ在位の第十五年、ポンテオ・ピラトがユダヤの総督、ヘロデがガリラヤの領主、その兄弟ピリポがイツリヤ・テラコニテ地方の領主、ルサニヤがアビレネの領主、アンナスとカヤパとが大祭司であったとき、神の言(ことば)が荒野でザカリヤの子ヨハネに臨んだ。

彼はヨルダンのほとりの全地方に行って、罪のゆるしを得させる悔改めのバプテスマを宣べ伝えた。それは、預言者イザヤの言葉の書に書いてあるとおりである。すなわち

「荒野で呼ばわる者の声がする、
『主の道を備えよ、
その道筋をまっすぐにせよ』。
すべての谷は埋められ、
すべての山と丘とは、平らにされ、
曲がったところはまっすぐに、
わるい道はならされ、
人はみな神の救を見るであろう」。

歴史的な記録であり預言の成就である

ここにはザカリヤの子ヨハネに神の言が与えられ、罪のゆるしを得させるバプテスマを宣べ伝えたことが記されています。それは皇帝テベリオ在位の第十五年とあり、ルカは歴史的記録としてこのことを記しているのだと思います。そして、それは旧約の預言者イザヤの預言の実現であるとも記しています。

「罪」とは、「悔改め」とは

「罪」とは、的外れという意味であり、本来神様を中心にして生きるべき人間が、人間中心、自己中心に生きている様を示しているのだと思います。それに対するゆるしと、「悔改め」とは方向を変える、中心を変えるということですから、神様を中心にして、本来あるべき生き方に戻るためのバプテスマを宣べ伝えたということだと思います。

「バプテスマ」とは

「バプテスマ」とは、水に浸すという意味で、これまでの自己中心の生活を改め、これからは神様を中心にして生きることを示す水による清め、「禊ぎ」のことです。ヨハネは人々にそのように呼びかけたということだと思います。

イザヤの預言の言葉

旧約聖書のイザヤ書には実際に何と預言されていたのか。その言葉がここには引用されています。人間中心、自己中心の悪い生き方を捨てて、神様を中心にして生きるという良い道を整えること。全ての人がそこに神様の救いを見ることができると書いてあるということだと思います。

いかがでしたか

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本の表紙Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、読んでみてください。詳しくは書籍情報をご覧ください。

目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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