【日本人と日本文化】一歩譲る日本人

満員電車

「これは民族性の違いだと思いますが、日本では一歩譲ることによって様々な衝突を避けることができます。」と語るのは日本在住20年、中国から日本に帰化した姚南(ようなん)さん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

「すみません」

例えば自転車同士がぶつかったときなど、中国ならすぐ相手の責任を求めますが、日本では、どちらが悪いという事実関係より、まず、お互いに「すみません」と謝ります。その光景は見ていてとても勉強になります。

「大丈夫ですよ」

ある日、混んだ電車に乗っていたときのことです。立っていた私は、揺られた拍子に後ろに立っていた女性の尖った靴先を、自分のヒールで踏んでしまったのです。すぐ「ごめんなさい」と謝ると、その人は微笑んで「靴先は空いているから大丈夫ですよ」と言ってくれました。

干渉しない日本人

日本人は他人の私生活に干渉しません。うわべの付き合いのように見える関係は、多くの中国人が偽善と感じるものですが、私は、自分の主張を人に強制して受け入れてもらう必要はなく、干渉せず、お互いに好意を持って付き合い、人が困ったときに助けてあげれば良いと思います。

常識と礼儀

私の経験から言うと、日本では一般常識や礼儀を持って接すれば、習慣の違いがあってもうまく付き合うことができ、暮しやすい国だと感じます。私が何事にも前向きな性格だからかもしれませんが、中国人も積極的に日本の良さに気づけば、もっと日本社会にとけこめると思います。(本からの引用は以上です。)

世界の祝福となる

自己主張ではなく、お互いを受け入れる。そこに良好な人間関係の秘訣がある。日本人のそのような様子を見れば、日本人ではない人でもそれが分かるということだと思います。日本人がこのような日本人の良さを自覚して、大切に継承していくことが世界に大きな祝福をもたらすことになると思います。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の心の源泉でもあると思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人が大切にして来た心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 4章1~13節

さて、イエスは聖霊に満ちてヨルダン川から帰り、荒野を四十日のあいだ御霊(みたま)にひきまわされて、悪魔の試みにあわれた。そのあいだ何も食べず、その日数がつきると、空腹になられた。そこで悪魔が言った、「もしあなたが神の子であるなら、この石に、パンになれと命じてごらなさい」。イエスは答えて言われた、「『人はパンだけで生きるものではない』と書いてある」。

それから、悪魔はイエスを高い所へ連れて行き、またたくまに世界のすべての国々を見せて言った、「これらの国々の権威と栄華とをみんな、あなたにあげましょう。それらはわたしに任されていて、だれでも好きな人にあげてよいのですから。それで、もしあなたがわたしの前にひざまずくなら、これを全部あなたのものにしてあげましょう」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を拝し、ただ神にのみ仕えよ』と書いてある」。

それから悪魔はイエスをエルサレムに連れて行き、宮の頂上に立たせて言った、「もしあなたが神の子であるなら、ここから下へ飛びおりてごらんなさい。『神はあなたのために、御使たちに命じてあなたを守らせるであろう』とあり、『あなたの足が石に打ちつけられないように、彼らはあなたを手でささえるであろう』とも書いてあります」。イエスは答えて言われた、「『主なるあなたの神を試みてはならない』と言われている」。悪魔はあらゆる試みをしつくして、一時イエスを離れた。

御霊に引きまわされて

イエスはヨハネからバプテスマを受けると、荒野を四十日の間、御霊に引きまわされて、悪魔の試みにあわれたとあります。「御霊」とは、神様の霊のことですから、神様の霊に引きまわされて、悪魔の試みにあわれたということです。悪魔は神様と対等の関係にあるものではなく、神様の支配の下で、イエスを試みることが許されたということをここでルカは言っているのだと思います。

神様がいるなら

神様がいるなら、どうして困難や誘惑があるのかという人もいますが、それは神様が許されたということだと思います。神様を中心にして生きるということは、決して困難や誘惑に会うことはないということではなく、それもまた神様が許されたことであると受け入れて、立ち向かう、乗り越える、克服するということだと思います。

全ては分からないが

どうしてこのような困難や誘惑を神様は許すのか、時に私たちはその全ての理由を知ることはできないと思いますが、神様が許したということは、必ずそこに意味があるということだと思います。それが神様を中心にして生きるということだと思います。

現実を受け入れる

時には愚痴や不満が出ることもあるでしょうか。そういうこともあるかもしれません。しかし、それは決して困難や試みを避けて良いという理由にはならないと思います。それもまた神様が私に許されたことであるなら、現実を受け入れて、困難に立ち向かわなければならないと思います。それが神様を中心にして生きるということだと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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