【日本とイスラエル】蘇民将来の子孫

しめ飾り

日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

もう一つの興味深い習わし

伊勢について、もう一つ興味深いことがある。伊勢神宮や祇園神社などの周辺住民は、一月一四日ないし一五日に、各自の家の門口に「蘇民将来(そみんしょうらい)子孫之門」と墨書きした門符をつけ、それにしめ飾りをする。ユダヤ暦の一月一四~一五日は、ちょうど過越の祭の日にあたる。

蘇民将来とは

蘇民将来というのは、昔スサノオノミコトを家に泊めたという故事中の人物である。彼は貧しかったが、スサノオを家に泊めて、もてなした。スサノオは彼に、悪疫にかからない方法を教えた。以来、人々の間に、厄よけのために「蘇民将来の子孫」という門符をかかげる風習が始まったという。

アブラヒ神社

興味深いことに、伊勢の近くには「蘇民の森」また「アブラヒ神社」(油日神社。鈴鹿山麓中)というのがある。この「アブラヒ」というのは、アブラハムに音が似ている。アブラヒ神社では今日、蘇民将来の祭は行われていないが、「アブラヒ」とは何かといったら「アブラヒ」という神をさすのだそうである。

アブラハムの祝福

昔、ユダヤ人の父祖であるアブラハムは、旅人として来られた天使を家に招き入れて、もてなした(旧約聖書創世記18章8節)。神は彼に、やがて子孫が生まれてくること、そしてその子孫に祝福があることを告げられた。

どこか似ている

ユダヤ人は、自分たちのことを「アブラハムの子孫」という。そしてユダヤ人には、メズサといって、神の御言葉を書いた門符を家の門口につける風習がある。だからユダヤ人は、蘇民将来の子孫と書いた門符を見るとき、それがどこかユダヤ人の風習に似ているなと感じてしまうのである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の生活にも深い関係があると考えられます。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 4章38~44節

イエスは会堂を出てシモンの家におはいりになった。ところがシモンのしゅうとめが高い熱を病んでいたので、人々は彼女のためにイエスにお願いした。そこで、イエスはそのまくらもとに立って、熱が引くように命じられると、熱は引き、女はすぐに起き上がって、彼らをもてなした。

日が暮れると、いろいろな病気になやむ者をかかえている人々が、皆それをイエスのところに連れてきたので、そのひとりびとりに手を置いて、おいやしになった。悪霊も「あなたこそ神の子です」と叫びながら多くの人々から出ていった。しかし、イエスは彼らを戒めて、物を言うことをお許しにならなかった。彼らがイエスはキリストだと知っていたからである。

夜が明けると、イエスは寂しい所へ出て行かれたが、群衆が捜しまわって、みもとに集まり、自分たちから離れて行かれないようにと、引き止めた。しかしイエスは、「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言われた。そして、ユダヤの諸会堂で教を説かれた。

イエスの権威

安息日(土曜日)にユダヤ教の会堂でイエスは聖書を開いて教えました。人々はその権威ある教えに驚いたとあります。その後、イエスは会堂を出て、シモンという人の家に入りました。そこで、シモンのしゅうとめの熱を下げたとあります。それが事実の記録であるとすれば、イエスには神様の権威が与えられていて、熱までがその言葉に従ったということだと思います。少なくともこの福音書の著者であるルカはそのことを伝えようとしているのだと思います。

イエスを通して働く神様の力

安息日は夕方の6時に終わります。「日が暮れると」というのは、安息日が終るのを待って、つまり安息日の間は遠い距離を歩くことも労働と考えられて禁止されていましたので、外出しても良い時間になるのを待って、人々がイエスの所に集まって来たということだと思います。そして、イエスは病人を癒し、悪霊を追い出したと記されています。イエスを通して明らかに超自然的な神様の力が働いていたことをルカは伝えているのだと思います。

悪霊はイエスがキリストだと知っていた

不思議なことに、悪霊はイエスがキリスト、つまり旧約時代に預言されていたメシヤ、神様から特別な権威が与えられた者、「神の子」であると知っていたのに、イエスはそのことを言うことを許されなかったと書いてあることです。イエスはご自身がメシヤであることをまだ伏せていたのかもしれません。

神の国の福音

こうして、イエスの評判は益々広まり、多くの群衆が集まって来たようです。人々はイエスを自分たちの所に留めておきたいと願いましたが、イエスは「わたしは、ほかの町々にも神の国の福音を宣べ伝えねばならない。自分はそのためにつかわされたのである」と言って、ユダヤの諸会堂で教を説かれたとあります。その教えは「神の国の福音」、つまり自己中心を退けて、神様の願いや思いを中心にして生きる幸いであったということをルカは伝えようとしているのだと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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