【日本人と日本文化】日本の「武士道」は好きです

サムライ

「私は、日本の文化にも大変興味があります。茶道には興味がありませんが、日本の『武士道』は好きです。」と語るのは日本在住21年の韓国人、宋善吉(ソンスンキル)さん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

「なんて汚い街か」

来日する前は、「日本は綺麗な国」、「日本人は正直」と思っていました。成田から新宿に来た時、「なんて汚い街か」と思いました。タバコの吸い殻があちこちにあり、日本の初印象は、決して良いものではありませんでした。

日本人は大変信用できます

私は幸運にも、今までコンピューターの仕事をして、大きな失敗をしたことがありません。それは、日本人と仕事して裏切られたことがないからなのです。日本人は、大変信用できます。時間に正確、お金はきちっとしているし、報告や連絡は必ずしてくれます。皆が、自分に対して責任感をもっている。

大変感銘を受けた体験

それに私は、在日朝鮮人が受けたような人種差別を一度も受けたことがありません。今も思い出すのは、新聞配達のアルバイトしていた時のことです。代金の集金に伺うと、着物姿の奥様が三つ指をついて、白い封筒にお金を入れて渡してくれながら、「ごくろうさま」と言葉をかけてくれたことです。たかが新聞代金の集金に来た人間に、こんな最良の礼儀で接してくれるのかと、大変感銘を覚えたことが、私の脳裏には未だに鮮明にあります。

武士道

私は、日本の文化にも大変興味があります。茶道には興味がありませんが、日本の「武士道」は好きです。ジェントルマンシップ。韓国語では、ヤンバン(両班)。礼節を守る。規則や規範を守る(もっとも、気取った礼節や見栄や、付き合いにくい礼節の日本人もいますがそれは武士道ではない)。今の日本人は、「日本の良さ」を忘れていると思います。風習、文化、家族的情味、武士道など、良い面がたくさんあるのにそれを忘れています。良い伝統を、守ってください。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の文化、伝統の源泉でもあります。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 5章33~39節

また彼らはイエスに言った、「ヨハネの弟子たちは、しばしば断食をし、また祈をしており、パリサイ人の弟子たちもそうしているのに、あなたの弟子たちは食べたり飲んだりしています」。

するとイエスは言われた、「あなたがたは、花婿が一緒にいるのに、婚礼の客に断食をさせることができるであろうか。しかし、花婿が奪い去られる日が来る。その日には断食をするであろう」。

それからイエスはまた一つの譬(たとえ)を語られた、「だれも、新しい着物から布ぎれを切り取って、古い着物につぎを当てるものはない。もしそんなことをしたら、新しい着物を裂くことになるし、新しいのから取った布ぎれも古いのに合わないであろう。

まただれも、新しいぶどう酒を古い皮袋に入れはしない。もしそんなことをしたら、新しいぶどう酒は皮袋をはり裂き、そしてぶどう酒は流れ出るし、皮袋もむだになるであろう。新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである。

まただれも、古い酒を飲んでから、新しいのをほしがりはしない。『古いのが良い』と考えているからである」。

断食と祈り

しばしば断食をしたり、祈ることは熱心な宗教者の目に見える姿なのかもしれません。しかし、イエスの弟子たちにそのような姿はなかったようです。イエスは断食も祈りも否定してはいないようですが、何のための断食であり、何のための祈りであるのか、そこがポイントではないでしょうか。

花婿が取り去られる時

花婿とはイエス自身のことを指しているのでしょうか。花婿が取り去られるとは、十字架の死を指しているのかもしれません。その時にはイエスの弟子たちも断食するでしょうとイエスは言いました。断食は悲しみの表現だと思います。そうやって思いを神様に向けることが大切なことではないでしょうか。ただ断食すれば良いということではないと思います。

新しい生き方

新しいものと古いものとのつぎはぎではいけないと言っているようです。断食する、祈るということ自体が目的となっていないでしょうか。宗教そのものが目的となっていないでしょうか。それは古い考え方だと言うことではないでしょうか。大切なことは自己中心を退けて、一人一人が神様の前に正しいと感じることに従って生きること、それが新しい生き方として教えられているのだと思います。

新しいぶどう酒は新しい皮袋に入れるべきである

誰でも古い方が良いと言うものだとイエスは言っています。確かに、新しいこと、変化は好まれないかもしれません。私たち自身の中にも、これまで通りの生き方を変えることに対する不安はあると思います。しかし、神様を中心にして生きるとは、それぞれの良心に語り掛けられる神様の声なき声に聞き従って生きることだと思います。この神様の声なき声に従って生きるという「新しいぶどう酒」は新しいライフスタイル、新しい皮袋に入れるべきだと言っているのではないでしょうか。変化を恐れず、神様を中心にして一歩踏み出して行くことが大切ではないでしょうか。

いかがでしたか

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2018年2月2日(金)タピ大決定!

今回は「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係(3)~キャンピングカーで行く古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅」と題して、昨年の夏に訪問した石川県宝達町にある「モーゼの墓」、京都府丹後にある日本最古の神社の一つ「元伊勢籠(この)神社」のレポートを、道の駅情報などキャンピングカーの旅行の魅力を交えながらお伝えしたいと思います。お近くにお住いの方はぜひお出でください。参加費無料、予約も要りません。お待ちしております。詳しくはタピ大をご覧ください。

本をお求めください

本の表紙Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。(Amazonのサイトはこちらです。)日本人の高い国民性のルーツは聖書にあること、イエスの教えはキリスト教よりむしろ「日本人の信仰」の中に引き継がれていることが分かります。ぜひ、読んでみてください。

本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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