【日本人と日本文化】日本料理との出会い

懐石料理

「私は料理を通じて日本の奥深さ、歴史に培われた文化、職人技の見事さなどに魅力を感じ、知りたいこと勉強したいことが多く、なかなか帰国できそうにありません。」と語るのは、日本滞在8年の韓国人、崔益錫(チェイックソック)さん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

日本料理の素晴らしさ

日本の料理で私が最も素晴らしいと思う特徴は、素材の持ち味を生かす、旬のものを使い季節感を大事にする、食材が健康に良い、盛りつけが美しい、などです。目と舌で楽しむ日本料理の心は、周囲を思いやる謙虚さや、控え目な生活姿勢に通じるのではないでしょうか。

日本人の謙虚さ

例えば、ある寿司店でのこと、テレビなどで顔の売れた有名人や大学教授やお医者様がいらしても、偉そうに威張った素振りも見せず、周囲のお客様にとけこんでいる様子を見て、目を開かれる思いがしました。

日本流に創意工夫

日本には世界各国の料理があります。私がとても感心するのは、それぞれの料理が日本人の舌に合うように創意工夫されていることです。また、珍味やおすすめ料理を目当てのお客様が多く、珍しいものが大好き、という国民性を感じています。

優れた日本食

日本人が健康で長寿であるのは、日本食が優れているからです。旬の料理には、新鮮で上質な食材が欠かせません。それには、良心的に地道に栽培している生産者にとって、採算の合う供給の仕組みが大切な課題です。

庭の野菜に歓声

今回、取材を受けるために訪れたお宅の庭には、親代々の思い出がこもった樹木や春の花々のそばに、フキノトウやサンショウ、レタスやアサツキ、キヌサヤやシソやパセリなどがさり気なく植えてありました。私は思わず歓声をあげ、レタスとアサツキを摘んで食べてしまいました。

日本人の心の広さ、豊かさ、優しさ

取材途中からご主人が加わって下さり、戦争や靖国や政治、音楽や美術や文学、子育てや生き方など、率直で偏らない、ざっくばらんなお話を伺い、大変感動しました。初対面の私を、三人目の息子が出来た、と温かく接して下さるご夫妻の姿に、日本人の心の広さ、豊かさ、優しさを感じ、目頭が熱くなりました。

日本に来て良かった

駅まで送って下さったご主人と別れて電車に揺られながら思いました。日本に来てやっぱり良かった、と。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の心だと思います。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心に触れるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 6章6~11節

また、ほかの安息日に会堂にはいって教えておられたところ、そこに右手のなえた人がいた。律法学者やパリサイ人たちは、イエスを訴える口実を見付けようと思って、安息日にいやされるかどうかをうかがっていた。イエスは彼らの思っていることを知って、その手のなえた人に、「起きて、まん中に立ちなさい」と言われると、起き上がって立った。

そこでイエスは彼らにむかって言われた、「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。そして彼ら一同を見まわして、その人に「手を伸ばしなさい」と言われた。そのとおりにすると、その手は元どおりになった。そこで彼らは激しく怒って、イエスをどうかしてやろうと、互いに話合いをはじめた。

訴える口実

ユダヤ教の宗教指導者である律法学者やパリサイ人たちは、宗教ではなく、神様を中心に生きる幸いを教えるイエスを訴える口実を見付けようとしていました。ユダヤ教では安息日に仕事をすることは禁じられていましたので、もしイエスが安息日に手のなえた人をいやせば、仕事をしたということで訴えようとしていたということだと思います。

良心に向かって語り掛けるイエス

イエスはそうと分っていましたが、敢えて彼らの目の前で、この人をいやしました。しかも、ただいやしたのではなく、いやす前に彼らの良心に向かって語り掛けました。「あなたがたに聞くが、安息日に善を行うのと悪を行うのと、命を救うのと殺すのと、どちらがよいか」。

宗教の何が問題なのか

宗教が全て悪いということではないと思います。自己中心を退け、良心に語り掛けられる神様の声なき声に聞き従って生きる上で、宗教が助けになるのであれば、それは良い宗教だと思います。しかし、それぞれの良心に語り掛けられる神様の声よりも、宗教の戒律の方が重要だということであるなら、その宗教は問題だと思います。そして、往々にして宗教は自己中心を正当化するために利用されることがあるので注意が必要だと思います。

イエスの教えた生き方

当時のユダヤ教も例外ではなかったのだと思います。イエスはそのような宗教の問題に正面から立ち向かい、何が正しいことなのか、何が神様に喜ばれることなのかを教えたのだと思います。宗教ではなく、神様を中心にして生きること。それがイエスの教えた生き方だと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

「【日本人と日本文化】日本料理との出会い」への2件のフィードバック

  1. おはようございます。
    最近は、どんな宗教でも「宗教の戒律の方が重要だ」という人が多いですよね。
    基本理念みたいのを忘れてしまっていて、戒律ばかりを重視しています。
    以前ある団体に勧誘された事がありますが、その団体の理念には共感出来ても伝道者は形ばかりにとらわれていて共感できませんでした。
    何が一番大切かを見失ってはいけませんね。

    1. 藤田麻衣子様
      コメントありがとうございます。
      確かにそうかもしれませんね。宗教の戒律を守るというのは分かりやすいからかもしれませんね。
      でも大切なことは、宗教団体の教えではなく、私たち一人一人には神様が良心を与えて下さっているので、
      それぞれの良心で神様からの語り掛けを聞き、それに応えて生きることだと私は考えています。
      もちろん、私たちは間違うこともあるだろうと思います。
      だから自分の考えも絶対化しないで、お互いに謙って、耳を傾け合うことが大切ではないかと思います。
      それでも、最終的にはそれぞれ神様から与えられる確信に立って私たちは前に進みます。
      そして、お互いにその確信を尊重しながら、それぞれの意見も参考にさせていただきながら、お互いに励まし合い、祝福し合うことができれば、とても素晴らしいことではないかと思っています。
      そのために、キリスト教とか、宗教という先入観を持たないで、広く日本人に聖書に親しんで欲しいなあと願っています。

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