【日本人と日本文化】仲間に入れば何でも教えてくれる

オフィス

「とても真面目な仕事ぶりと高い技術力に魅せられて、日本でITのことをもっと勉強したいと思いました。」と語るのは、日本滞在8年、今は日本でコンピューター関係の会社に勤めるインドネシア出身のノフィータ・ウイラワンさん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

日本の印象

日本に来て印象的だったのは、街がとてもきれいで清潔感があること、人も車もルールを守っていること、そして道や電車の行き先などを聞くと、皆さん親切に教えてくれることでした。

「おしん」

子供の頃、テレビで「おしん」が母国語で放映されていたことがありました。そこで受けた感じは、「がんばれば良くなる」という、日本人の向上心、前向き思考です。このような精神があったからこそ、日本は豊かになったのだと思います。

研究室で

研究室は15人で女性は私のみ、外国人は2人でした。日本語も十分理解できなく、テーマに追いついて行くのが大変なときに、差別無く、皆さんから親切に教えていただいたことは感謝しています。

会社に入って

会社に入ってまだ不慣れなとき、どうするのかと迷っていると、先輩からアドバイスを受けます。時には雑用的なこともあります。母国ではこのような先輩、後輩の関係はあまり無く、グループに入ったら皆同じです。それで初めは違和感がありました。でもそうなのだ、こうして仲間に入れば何でも教えてくれるのだ、ミスをしたときにはフォローしてくれるのだとわかりました。学校教育だけでなく、こうして先輩からも教えられることが、チームとか組織の人間関係とルールを作り、パワーとなるのだと理解しました。しかしときどき、「本音とたてまえ」もあります。

女性も働きやすい

日本はとても安全であると思います。電車が正確に走り、女性専用車もできました。またコンビニ店なども身近にあって、母国に比べて女性でも暮らしやすいです。ですから日本で外国人として働くとき、環境に順応してがんばれば、女性も働きやすいと思います。

これが日本

日本は伝統文化を大事にしています。お祭りのお神輿や花火。和太鼓は打たせてもらいました。着物も着たことがあります。京都、奈良では、お寺や神社、建物など伝統的なものを、周りの自然と共に大切に守っています。これらが街と調和して違和感がありません。これが日本なのだと感じました。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統に深い関係があると思います。キリスト教の教典という考えはひとまず脇に置いて、神様を中心にして生きる日本人の心について考えるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 7章1~10節

イエスはこれらの言葉をことごとく人々に聞かせてしまったのち、カペナウムに帰ってこられた。ところが、ある百卒長の頼みにしていた僕が、病気になって死にかかっていた。この百卒長はイエスのことを聞いて、ユダヤ人の長老たちをイエスのところにつかわし、自分の僕を助けにきてくださるようにと、お願いした。

彼らはイエスのところにきて、熱心に願って言った、「あの人はそうしていただくねうちがございます。わたしたちの国民を愛し、わたしたちのために会堂を建ててくれたのです」。

そこで、イエスは彼らと連れだってお出かけになった。ところが、その家からほど遠くないあたりまでこられたとき、百卒長は友だちを送ってイエスに言わせた、「主よ、どうぞ、ご足労くださいませんように。わたしの屋根の下にあなたをお入れする資格は、わたしにはございません。それですから、自分でお迎えにあがるねうちさえないと思っていたのです。

ただ、お言葉を下さい。そして、わたしの僕をなおしてください。わたしも権威の下に服している者ですが、わたしの下にも兵卒がいまして、ひとりの者に『行け』と言えば行き、ほかの者に『こい』と言えばきますし、また、僕に『これをせよ』と言えば、してくれるのです」。

イエスはこれを聞いて非常に感心され、ついてきた群衆の方に振り向いて言われた、「あなたがたに言っておくが、これほどの信仰は、イスラエルの中でも見たことがない」。使にきた者たちが家に帰ってみると、僕は元気になっていた。

ローマの百卒長

百卒長とはローマの百人隊長のことだと思います。この人はイスラエル人に深い敬意を払っていたようです。そして、神様の前に遜っていた人のように感じます。イエスに来てもらう資格さえないと言っています。

権威

彼の言葉から「権威」とは何かということを考えさせられます。イエスも非常に感心され、イスラエルの中でもこれほどの「信仰」は見たことがないと言っています。神様の権威に服すること、それは自己中心を退けて、神様を中心にして生きることだと思いますが、それが「信仰」だということを思わされます。

いかがでしたか

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2018年2月2日(金)タピ大決定!

今回は「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係(3)~キャンピングカーで行く古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅」と題して、昨年の夏に訪問した石川県宝達町にある「モーゼの墓」、京都府丹後にある日本最古の神社の一つ「元伊勢籠(この)神社」のレポートを、道の駅情報などキャンピングカーの旅行の魅力を交えながらお伝えしたいと思います。お近くにお住いの方はぜひお出でください。参加費無料、予約も要りません。お待ちしております。詳しくはタピ大をご覧ください。

本をお求めください

本の表紙Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。(Amazonのリンクはこちらです。)日本人の高い国民性は聖書と無関係ではないこと、イエスの教えは「日本人の信仰」の中にも引き継がれていることについて書きました。ぜひ、読んでみてください。

目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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