【日本人と日本文化】冬の日本を堪能

雪景色

「日本の自然にはオーストラリアとは違った美しさがあると感じたのです。」と語るのは、一年間ホームスティをしながら横浜市内の公立高校に通ったことのあるエマ・ユーエンさん。加藤恭子編「私は日本のここが好き!外国人54人が語る」からご紹介いたします。

さりげない日常の礼儀作法

帰国後も、大学の休暇を使って来日し、北海道のスキー場でアルバイトをしたことがあります。その後しばらく日本には来ていなかったのですが、去年の二月、初めて父を連れてきました。父は、日本人が普段お茶を入れるとき、濃さが均等になるように少しずつ注ぐのを見て、さりげない日常の礼儀作法にとても感心していました。

雪で覆われた景色

今年はボーイフレンドに日本の冬を見せたくて、同じ時期に日本に来ました。東京に着いてその足で新幹線に乗り北海道まで行ったのですが、東北辺りに来ると、彼は田んぼが雪で覆われている景色がとても綺麗だと言って外をずっと眺めていました。

親切な日本人

旅行中に出会った人も、とても親切でしたよ。例えば、青森の旅館に泊まっていたとき、私達のほかには泊り客がいなくて、そこのオーナーの方が毎晩温泉まで運転してくれました。また、私達が道を尋ねると、店員さんがお店から出て来て二百メートルくらい先まで一緒に歩いてくれたり、電車が故障で遅れたのでホストファミリーに電話をかけたかったのですが、携帯電話を持っていなかったので近くにいた若い女性に事情を説明すると、彼女は私のホストファミリーに電話をかけてくれました。彼が歌舞伎町の焼き鳥屋に一人で入ったときも、サラリーマンが御馳走してくれたそうです。

恥ずかしい思い

その反面、私達が滞在したスキー場には、オーストラリア人がとても多かったのですが、そのマナーの悪さには、何度か恥ずかしい思いをしたことがありました。例えば、混雑したバスの中で、バックパックを背負ったまま座っているオーストラリア人達がいました。彼らの荷物が後ろの席まで飛び出しているので、他の人がそこに座れないことに本人達は気付いているのに、荷物を下ろさなかったり。そういう点でオーストラリア人は個人主義というか、自分勝手なのかもしれませんね。私達ももっと周囲に配慮をするようになるといいと思います。

他人への思いやり

私の国では「自分の心配だけしていればいい」という雰囲気があるのですが、日本人はまったくの他人に親切にしてくれたり、細やかな配慮をしてくれます。それは、日本人が他人や自分が属しているものに対して、連帯感や責任感のようなものを感じているからなのだろう、と思いました。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。日本人の高い国民性、文化、伝統、習慣は聖書と深い関わりがあると思います。キリスト教の教典という考えはひとまず脇に置いて、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 7章18~23節

ヨハネの弟子たちは、これらのことを全部彼に報告した。するとヨハネは弟子の中からふたりの者を呼んで、主のもとに送り、「『きたるべきかた』はあなたなのですか。それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか」と尋ねさせた。

そこで、この人たちがイエスのもとにきて言った、「わたしたちはバプテスマのヨハネからの使ですが、『きたるべきかた』はあなたなのですか、それとも、ほかにだれかを待つべきでしょうか、とヨハネが尋ねています」。

そのとき、イエスはさまざまの病苦と悪霊とに悩む人々をいやし、また多くの盲人を見えるようにしておられたが、答えて言われた、「行って、あなたがたが見聞きしたことを、ヨハネに報告しなさい。盲人は見え、足なえは歩き、らい病人はきよまり、耳しいは聞え、死人は生きかえり、貧しい人々は福音を聞かされている。わたしにつまずかない者は、さいわいである」。

「きたるべきかた」

「きたるべきかた」とは、旧約の預言者たちが預言し、イスラエルの人々が待ち望んでいたメシヤ、ギリシヤ語でキリストのことだと思います。この方が来られたら、イスラエル民族は完全に回復されると信じて待ち望んでいたのだと思います。

わたしにつまずかない者は、さいわいである

否定はしませんでしたが、ここでイエスは「その通りです」とは答えませんでした。イエスを通して何が起こっているのか報告しなさいと言って、「わたしにつまずかない者は、さいわいである」と言ったと記されています。

罪を悔い改めて、神様に立ち返ること

詳しく書いてないので分かりませんが、もしかしたらヨハネや当時のイスラエルの人々が思い描いていた「きたるべきかた」とは、すぐにイスラエル国家を回復してくださる方ということだったので、イエスはそうではなく、イスラエルを神様の前に回復させる、つまり、人間中心、自己中心を退けて、神様を中心にして生きる幸いを教えるメシヤだということだったからなのかもしれません。いずれにしても、イエスはそれぞれの良心で神様の声を聞くようにと求められたのではないでしょうか。「わたしにつまずかない者は、さいわいである」とも言われました。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

2018年2月2日(金)タピ大決定!

今回は「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係(3)~キャンピングカーで行く古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅」と題して、昨年の夏に訪問した石川県宝達町にある「モーゼの墓」、京都府丹後にある日本最古の神社の一つ「元伊勢籠(この)神社」のレポートを、道の駅情報などキャンピングカーの旅行の魅力を交えながらお伝えしたいと思います。お近くにお住いの方はぜひお出でください。参加費無料、予約も要りません。お待ちしております。詳しくはタピ大をご覧ください。

本をお求めください

本の表紙Amazonから「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」を出版しています。(Amazonのサイトはこちらです。)日本人の高い国民性は聖書と深い関係があること、イエスの教えは「日本人の信仰」の中にも引き継がれていることについて書きました。ぜひ、読んでみてください。

本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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