【日本とイスラエル】逆・日ユ同祖論

日本とイスラエルの類似した風習について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

日ユ同祖論

ふつう日ユ同祖論といえば、古代イスラエル人が日本にやって来て、日本人の先祖の一部となり、彼らの宗教や文化が日本の文化形成に深く影響したという説をさす。しかし日本の熱心な神道家の中には、その逆を説く人々がいる。

逆・日ユ同祖論

いわば逆・日ユ同祖論である。この説によれば、古代の日本は至高の文明を持っていて、世界文明の中心であった。その至高の文明を学びにイスラエル人やモーセがはるばる日本にやって来た。彼らはその後イスラエルの地に帰り、そこでユダヤ教をつくったが、それは日本の神道に深く影響されたものである。イエスも日本に来て学んだという。ユダヤ教もキリスト教も、日本神道から枝分かれしたもの、もしくは日本神道の弟子、あるいは歪曲したものだというのである。

竹内文書

この説は、昭和期に竹内巨麿(たけのうちきよまろ)が広めた竹内古文書(たけのうちこもんじょ)(竹内文書)をおもな根拠としている。これは古事記以前の歴史書という体裁をとった本であるが、近代につくられた偽書であることが証明されている。

どうみても無理がある

またモーセやキリストが、その短い生涯の中ではるばる日本に来て文明を学び、再びイスラエルの地に帰って宗教をつくったというのは、どうみても無理がある。日本の伝統は約2700年。一方、ユダヤの伝統はアブラハムから数えて約4000年、ノアから数えるなら約4500年である。考古学、人類学においても、文明の発祥地はメソポタミヤ地方である。

メソポタミヤ文明

世界最古の文字や、最古の文明の遺物が発見されているのは、いずれもメソポタミヤ地方である。ユダヤ教、キリスト教、イスラム教もこの地で開花し、世界に広がった。そこはまた、世界の三大人種——コーカソイド(白色人種)、モンゴロイド(黄色人種)、ニグロイド(黒色人種)の住む地域の交点でもある。

一方で興味深いこと

したがって、逆・日ユ同祖論は、到底受け入れることのできないものである。しかし、日本の神道家の中にこうした説が生まれるというのは、一方で興味深いことではある。この説は、イスラエルの宗教と日本神道の間の類似性を認めているからである。つまり逆・日ユ同祖論は、この類似性に関する、彼らなりの説明なのである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は神様を中心にして生きようとしたイスラエル人の記録であり、日本人の文化に深い関係があると考えられます。キリスト教の教典としてではなく、神様を中心にして生きる日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 5章27~32節

そののち、イエスが出て行かれると、レビという名の取税人が収税所にすわっているのを見て、「わたしに従ってきなさい」と言われた。すると、彼はいっさいを捨てて立ちあがり、イエスに従ってきた。

それから、レビは自分の家で、イエスのために盛大な宴会を催したが、取税人やそのほか大ぜいの人々が、共に食卓に着いていた。ところが、パリサイ人やその律法学者たちが、イエスの弟子たちに対してつぶやいて言った、「どうしてあなたがたは、取税人や罪人などと飲食を共にするのか」。

イエスは答えて言われた、「健康な人には医者はいらない。いるのは病人である。わたしがきたのは、義人を招くためではなく、罪人を招いて悔い改めさせるためである」。

取税人レビ

当時、ユダヤはローマの支配下にありました。ローマは直接ユダヤ人から税金を集めず、ユダヤ人に税金を集めさせました。それが取税人です。それゆえに取税人はユダヤ人の間で裏切り者のように考えられ、嫌われていたようです。イエスはそのような取税人のレビに目を止め、「わたしに従ってきなさい」と言ったと記されています。

罪人を招く

レビは喜んで、イエスのために盛大な宴会を催したと記されています。取税人や罪人たちがイエスと一緒にその席に連なって食事をしたとも記されています。ユダヤ教の宗教指導者たちはそのことを批判しました。しかし、イエスは「健康な人には医者はいらない。」と言ったと記されています。

罪の自覚

取税人や罪人たちは自分たちが正しくない者であることを自覚していたということだと思います。彼らは本当はそんな生活から抜け出したいと願っていたのではないでしょうか。イエスはそのような人々を神の国に招いたということだと思います。

それは大切な出発点

自分は決して正しい者ではないという自覚は大切な出発点ではないでしょうか。その自覚がなければ、どうして悔い改めて、神様を中心とした生活をしたいと願うでしょうか。生まれながらの自分は決して正しい者とは言えないと自覚する者だけが自己中心を退け、神様を中心にして生きることこそが救いであると見出すことができるのではないでしょうか。

悔い改めとは中心を変えること

大切なことは自己中心は罪であることを自覚して退け、神様を中心にして生きることだと思います。また、それまでたとえどんなに罪深い生活をしていたとしても、中心を変えることはいつでもできます。それが救いであり、神の国であり、神様が意図された人間本来の生き方だと思います。

いかがでしたか

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2018年2月2日(金)タピ大決定!

今回は「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係(3)~キャンピングカーで行く古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅」と題して、昨年の夏に訪問した石川県宝達町にある「モーゼの墓」、京都府丹後にある日本最古の神社の一つ「元伊勢籠(この)神社」のレポートを、道の駅情報などキャンピングカーの旅行の魅力を交えながらお伝えしたいと思います。お近くにお住いの方はぜひお出でください。参加費無料、予約も要りません。お待ちしております。詳しくはタピ大をご覧ください。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」