【日本とイスラエル】八咫鏡を見たという森有礼

伊勢神宮内宮正宮

日本とイスラエルに関連した事柄について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

森有礼

森有礼(もりありのり)は、明治時代の日本の文部大臣であった。彼は、伊勢神宮の八咫鏡(やたのかがみ)の裏面に、ヘブル文字で、「エヘイェ・アシェル・エヘイェ」と書いてあるのを自分で見たと主張した。これは聖書・出エジプト記3章14節にある言葉で、「我は有りて在る者」(I AM THAT I AM)を意味する神の聖なる御名である。

八咫鏡

八咫鏡は、古代から日本の天皇家に伝わる「三種の神器」の一つである。八咫鏡の本物は伊勢神宮に安置されており、そのレプリカ(複製)が皇居の「賢所(かしこどころ)」(温明殿。神鏡をまつる所)にある。八咫鏡を一般の人が見ることはできない。天皇さえも見ることができないと言われているものである。伊勢神宮の神官もそうであるはずである。その神聖不可侵の八咫鏡を、森有礼が見ることができたとはいったいどういうわけか。

噂はまたたく間に広まった

さらに、戦後、日本が太平洋戦争で負けたとき、GHQのある将軍が強制的に八咫鏡を見たという話もある。また、青山学院の左近義弼博士も宮中の賢所の鏡を見てそれを確認した、という噂も出た。

日猶懇話会

やがて昭和27年頃のことだが、元海軍大佐の犬塚惟茂を会長として「日猶懇話会」という団体が結成された。これは、日本とユダヤの関係を研究し、その親善を目指す団体である。

真相を調査

昭和28年1月25日の例会は、東京のミハイル・コーガンというユダヤ人の邸宅で開かれた。その席上には、皇族の三笠宮も臨席していた。その例会で、八咫鏡のヘブル文字のことが話題になった。すると三笠宮は、真相を調査してみようと語った。しかし、これがまた当時、一つの波紋を投げかけることとなった。というのは、やはりこのとき同席していた東京イブニングニュースの支局長が、「神鏡のヘブル出所説を三笠宮氏が調査!」と題して、翌日付の同紙にスッパぬいたからである。この記事は当時大変話題になった。そしてこの話題は、遠く海外にも言い伝えられた。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の歴史にも関係があると考えています。外国の宗教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 12章1~12節

その間に、おびただしい群衆が、互に踏み合うほどに群がってきたが、イエスはまず弟子たちに語りはじめられた、「パリサイ人のパン種、すなわち彼らの偽善に気をつけなさい。

おおいかぶされたもので、現れてこないものはなく、隠れているもので、知られてこないものはない。だから、あなたがたが暗やみで言ったことは、なんでもみな明るみで聞かれ、密室で耳にささやいたことは、屋根の上で言いひろめられるであろう。

そこでわたしの友であるあなたがたに言うが、からだを殺しても、そのあとでそれ以上なにもできない者どもを恐れるな。恐るべき者がだれであるか、教えてあげよう。殺したあとで、更に地獄に投げ込む権威のあるかたを恐れなさい。そうだ、あなたがたに言っておくが、そのかたを恐れなさい。

五羽のすずめは二アサリオンで売られているではないか。しかも、その一羽も神のみまえで忘れられてはいない。その上、あなたがたの頭の毛までも、みな数えられている。恐れることはない。あなたがたは多くのすずめよりも、まさった者である。

そこで、あなたがたに言う。だれでも人の前でわたしを受けいれる者を、人の子も神の使たちの前で受けいれるであろう。しかし、人の前でわたしを拒む者は、神の使たちの前で拒まれるであろう。

また、人の子に言い逆らう者はゆるされるであろうが、聖霊をけがす者は、ゆるされることはない。あなたがたが会堂や役人や高官の前へひっぱられて行った場合には、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配しないがよい。言うべきことは、聖霊がその時に教えてくださるからである」。

偽善に気をつけなさい

「偽善」とは、外側は立派に見えても、その内側は自己中心と悪に支配されているような状態のことではないでしょうか。何を中心にしているのかという内側が、必ず外側に現れて来ると言われています。どうしたら、いつも神を中心にして、心から神の前に正しく生きることができるようになるでしょうか。その秘訣は神を恐れることだと教えられているのだと思います。

恐れるな

でも、恐れるなと教えられているのは、決して矛盾ではないと思います。それはびくびくと怖がる必要はないということでしょう。神を正しく恐れることが大切だと思います。天の父なる神は、ただ怖いのではありません。悪を憎まれるということだと思います。

聖霊が教えてくださる

人の子に言い逆らっても許されるが、聖霊をけがすものは許されないとはどういうことでしょうか。人の子とはイエスご自身のことではないかと思いますが、その言葉に言い逆らっても良い。しかし、目には見えませんが、良心に語り掛けられる聖霊、つまり神の声なき声は何と言っているのか。それをけがすのであれば、許されないということを言っているのでしょうか。それぞれ神の声に聞いて、確信するところに従って歩むことが大切ではないかと思います。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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