【日本とイスラエル】矢野祐太郎と八咫鏡

八咫鏡

日本とイスラエルに関連した事柄について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介しています。

矢野祐太郎

しかし、八咫鏡(やたのかがみ)とヘブル文字に関する真相は、その後もはっきりしなかった。やがて、八咫鏡を見たと主張する人物が、もう一人現れた。矢野祐太郎という人で、元海軍のエリート将校であり、熱心な神道家であった。

八咫鏡を見た

矢野は、三種の神器の中でもとくに八咫鏡にこそ、天皇の真実の姿を伝えるカギがあると考えていた。そしてこの神宝を見せていただけるよう、礼を尽くして伊勢神宮にかけあった。その結果、矢野の情熱に打たれた当時の伊勢神宮の宮司から、極秘裏に許しを得たという。

裏面の模様を書き写した

矢野は、見ることのできた八咫鏡の裏面の模様を、自分の手で丁寧に書き写した。細心の注意をはらったこの写しはしばらく、彼の長女が運営する親政龍神会という団体内に保管されていた。トップシークレットとして、一切外部に出されていなかったのである。

幾分ヘブル文字に似ている

しかし、やがてこの会の内部で、この写しを世に出すようにとの「神示」が下ったのだという。私のもとにも、ある友人がその写しを持ってきてくれた。(写真)八咫鏡の裏面だというそのコピーには、古代文字らしい不思議な文字が書いてあった。とくに中心の文字は幾分ヘブル文字に似ている。

神代文字としては疑問が残る

もっとも、矢野祐太郎自身はこれをヘブル語とは考えなかった。彼はそれを、「神代文字(じんだいもじ)」と呼ばれる日本の古代文字の一種と考えた。しかし、これを日本の神代文字と考える彼の解釈には、矛盾がある。同じ文字が数ヶ所に使われているのに、彼の解釈では別の文字として読まれているからである。また、横書きの神代文字というものを私は見たことがない。

ヘブル語として読めるのか

では、これをヘブル語、または古代ヘブル語、あるいはアラム語として読めるかというと、それも難しいものがある。きわめて似ている部分もあるが、全く似ていない部分もある。

真相はミステリーのまま

また、このコピーは本当に八咫鏡の模様を写したものなのか。結局、八咫鏡に関する真相はミステリーとして残ったままである。このミステリーは、本物の八咫鏡を撮影した写真でも公開されない限り――これは宮内庁のタブー視が続く限り不可能だろうが――解かれないであろう。いずれにしても日本という国は、古代イスラエルとの関係に関して興味深い話題に事欠かない国である。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣に深い関係があると考えられます。外国の宗教の教典としてではなく、日本人として、また人としての生き方を考えるために聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 12章22~34節

それから弟子たちに言われた、「それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようかと、命のことで思いわずらい、何を着ようかとからだのことで思いわずらうな。命は食物にまさり、からだは着物にまさっている。

からすのことを考えて見よ。まくことも、刈ることもせず、また、納屋もなく倉もない。それだのに、神は彼らを養っていて下さる。あなたがたは鳥よりも、はるかにすぐれているではないか。

あなたがたのうち、だれが思いわずらったからとて、自分の寿命をわずかでも延ばすことができようか。そんな小さな事さえできないのに、どうしてほかのことを思いわずらうのか。

野の花のことを考えて見るがよい。紡ぎもせず、織りもしない。しかし、あなたがたに言うが、栄華をきわめた時のソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。きょうは野にあって、あすは炉に投げ入れられる草でさえ、神はこのように装って下さるのなら、あなたがたに、それ以上よくしてくださらないはずがあろうか。

ああ、信仰の薄い者たちよ。あなたがたも、何を食べ、何を飲もうかと、あくせくするな、また気を使うな。これらのものは皆、この世の異邦人が切に求めているものである。あなたがたの父は、これらのものがあなたがたに必要であることをご存じである。

ただ、御国(みくに)を求めなさい。そうすれば、これらのものは添えて与えられるであろう。恐れるな、小さな群れよ。御国を下さることは、あなたがたの父のみこころなのである。自分の持ち物を売って、施しなさい。自分のために古びることのない財布をつくり、盗人も近寄らず、虫も食い破らない天に、尽きることのない宝をたくわえなさい。あなたがたの宝のある所には、心もあるからである。

良い人生を生きる

生きること、生活すること、それ自体が目的となっていないでしょうか。大切なことは、どんな生き方をするかということだと思います。たとえ衣食住に困ることがなかったとしても、ただ自分のための人生であれば、いったいどんな意味があったと言えるのでしょうか。神を中心にして、良い人生を生きて欲しいと願っています。

神に喜ばれる人生を生きる

神の思いにいつも心を向けて、神に喜ばれる人生を生きる。それは何と幸いな人生ではないでしょうか。それが御国であり、神を中心とした生き方です。そのような生き方を求めるなら、神が必ず与えてくださるとイエスは教えたと記されているのだと思います。全ての必要も備えられると約束されているのだと思います。それは必ずしもキリスト教徒になるということではないと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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