【日本とイスラエル】その深い関係

日本・ユダヤ封印の古代史表紙

日本とイスラエルに関連した事柄について、日本ユダヤ教団のラビ(教師)として、日本に10年以上居住したことのあるマーヴィン・トケイヤー氏の著書「日本・ユダヤ封印の古代史」から紹介して来ました。今回で最終回です。

イスラエル在住のラビからの手紙

私は以前、イスラエル在住のあるラビから、手紙をもらったことがある。それには、日本の天皇と日本政府宛のもう一通の長い手紙が添えられていた。その手紙を、天皇と政府に手渡してはくれないかという頼みである。

イスラエル起源に目覚めてほしい

内容は、イスラエル十部族と日本の関係についてのものであった。それは天皇と日本国民が、自分たちのイスラエル起源に目覚め、イスラエルの地に帰ってきてほしいと乞い願うものであった。

イスラエルと日本の深い関係

このラビに限らず、ほかにも本書中には書ききれなかったが、イスラエル十部族と日本の間に深い関係が存在していると考える人々が数多くいる。彼らは、ユダヤ人の中に、そして日本の神道家の中に、また世界のキリスト教徒の中に、また歴史研究家の中にもいる。

杉田六一氏

『東アジアへ来たユダヤ人』(音羽書房刊)、『日猶同祖論を追って』(同)を著した私の友人杉田六一氏も、熱心な研究家であった。彼は自分を「ユダヤ・マニア」と呼んで、これに関する素晴らしい図書館を持っていた。

日本も含まれている

エレサレムには、「アミシャブ」というイスラエル十部族調査機関がある。彼らはイスラエル十部族が行ったと考えられる地として、幾つかの地をあげているが、その幾つかの地の中に日本も含まれている。そして研究を進めようとしている。

求められるさらなる研究

彼らだけでなく、この問題についてはユダヤ人、また日本人の双方からさらに詳細、かつ熱心な研究がなされてほしいと思う。DNA(遺伝子)による調査研究、また民族学的、言語学的、歴史学的、また比較宗教学、神話学、その他あらゆる面から、徹底した科学的調査がなされてしかるべきだと思う。

謎の解明

日本の中に、古代イスラエルとのつながりを思わせる、これほど多くの類似性が存在するのは何故か。その謎を私たちは解明しなければならない。読者も、本書を読んだことをきっかけとして、この研究を発展させて下されば幸いである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、信仰、習慣に深く関係していると思います。外国の宗教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 12章41~53節

するとペテロが言った、「主よ、この譬(たとえ)を話しておられるのはわたしたちのためなのですか。それとも、みんなの者のためなのですか」。

そこで主が言われた、「主人が召使たちの上に立てて、時に応じて定めの食事をそなえさせる忠実な思慮深い家令は、いったいだれであろう。主人が帰ってきたとき、そのようにつとめているのを見られる僕は、さいわいである。よく言っておくが、主人はその僕を立てて自分の全財産を管理させるであろう。

しかし、もしその僕が、主人の帰りがおそいと心の中で思い、男女の召使たちを打ちたたき、そして食べたり、飲んだりして酔いはじめるならば、その僕の主人は思いがけない日、気がつかない時に帰って来るであろう。そして、彼を厳罰に処して、不忠実なものたちと同じ目にあわせるであろう。

主人のこころを知っていながら、それに従って用意もせず勤めもしなかった僕は、多くむち打たれるであろう。しかし、知らずして打たれるようなことをした者は、打たれ方が少ないだろう。多く与えられた者からは多く求められ、多く任せられた者からは更に多く要求されるであろう。

わたしは、火を地上に投じるためにきたのだ。火がすでに燃えていたならと、わたしはどんなに願っていることか。しかし、わたしには受けねばならないバプテスマがある。そして、それを受けてしまうまでは、わたしはどんなにか苦しい思いをすることであろう。

あなたがたは、わたしが平和をこの地上にもたらすためにきたと思っているのか。あなたがたに言っておく。そうではない。むしろ分裂である。というのは、今から後は、一家の内で五人が相分れて、三人はふたりに、ふたりは三人に対立し、また父は子に、子は父に、母は娘に、娘は母に、しゅうとめは嫁に、嫁はしゅうとめに、対立するであろう」。

ペテロの質問

盗人がいつ来るか分らないように、メシアもいつ来られるか分からない。だから、油断しないで、いつも神に思いを向け、神を中心にして生活するようにと教えたイエスに弟子のペテロが尋ねた言葉です。なぜペテロはこのような質問をしたのか分かりませんが、これは弟子たちだけが意識すべきことなのかという質問なのでしょうか。イエスはそれには直接答えていないようにも思いますが、結局、それは弟子だけではなく、全ての人に向けられた言葉だと答えているのではないでしょうか。

多く求められる

そして、イエスの弟子であり、神中心の生活こそ救いであることを知っているのなら、当然、さらに意義ある人生を送ることができる可能性は大きいのですから、それだけ多く求められるのも当然だろうと思います。

平和をもたらすために来たのではない

イエスは平和ではなく、分裂をもたらすために来たとはどういうことなのでしょうか。もちろん、自分中心、人間中心を退けて、神を中心にして生きると平和がなくなり、分裂を生み出すということではないでしょう。ましてや、キリスト教を貫くために排他的になれということでもないでしょう。それはイエスが間もなく十字架にかけられ、イエスに従う者とイエスに敵対する者との間に分裂が起ることになる。その覚悟を求めているのではないでしょうか。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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