【日本とイスラエル】日本の枯れた骨々

狛犬(一角獣)

日本とイスラエルに関連する事柄について、畠田秀生著「日本は聖書の国だった!」からご紹介いたします。

エリヤフ・アビハイル師

2010年6月、イスラエルのラビの中でも高位にあるエリヤフ・アビハイル師が日本各地、東京、大阪、京都、神戸そして沖縄で講演とセミナーの旅をした。アビハイル師は、失われた十部族を探し出し、本国のイスラエルに連れ戻す運動をライフワークとしている。日本こそ北イスラエルの本流であるエフライムだと、彼と同行した彼の息子ダビデ・アビハイル師も講演した。

いちばんの証拠は?

各地で講演後必ずといっていいほどの質問が投げかけられた。「日本がイスラエルの失われた十部族であることのいちばんの証拠は何ですか?」第一の理由として挙げたのは、神社の構造と古代イスラエルの神殿、幕屋の構造が同じである、だった。

ヤシロ、ヤハシロ

日本の神社関連として社(ヤシロ)はヘブライ語でヤー(ヤーウエを短くしたもの)シロ(サムエルが礼拝を行っていた場所の名前で「神が降臨する乗り物」という意味)。依代(ヨリシロ=神霊の依り憑くもの。木、石、動物などがある)はヘブライ語でヤハシロ(ヤーウエの器、ヤーウエの斎場、統合している神のいる礼拝所という意味)と、ことばにおいてよく似ている。

拝殿、本殿、鳥居

神社の神殿構造に関して言うと、拝殿があり一番奥に本殿がある。イスラエルの幕屋の構造では、聖所があり一番奥に至聖所がある。入り口に門柱があり右側ヤキン(北イスラエル)左側ボアズ(南イスラエル)と名づけられている。神社の前にはトリイがあり、ヘブル語では「門」という意味でダラシ(ダはタ、シはイと訛る)と発音するという。

狛犬

そして獅子(ライオン)と狛犬(一角獣)がある。京都御所(=江戸時代まで天皇が住んでいたところ)の清涼殿(セイリョウデン)の天皇の座の前にも置かれている。ソロモンの神殿の前にはライオン(ユダ族の象徴で南イスラエルの二部族を表し)一角獣であるユニコーン(エフライム族の象徴で北イスラエルの十部族を表している)が置かれていた。

神輿

神輿は純金を被せられているし契約の箱も純金を被せる。ミコシとヘブル語「ミコダシュ」(聖所)は、ほとんど同じ発音である。箱の両側に環をつけ棒を通し、はずしてはならないという神輿のきまりは契約の箱と同じである。

鳳凰

鳳凰、または一対の羽のようなシンボル化したもの(京都松尾大社など)は天使ケルビム(契約の箱の蓋にふたりの天使が羽を広げて覆う)の変形であり、シンボル化したものであろう。アビハイル師の返答は静かなうちにも確信に満ちたものだった。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、信仰、国民性に深い関係があると思います。外国の宗教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 14章15~24節

列席者のひとりがこれを聞いてイエスに「神の国で食事をする人は、さいわいです」と言った。そこでイエスが言われた、「ある人が盛大な晩餐会を催して、大ぜいの人を招いた。晩餐の時刻になったので、招いておいた人たちのもとに僕(しもべ)を送って、『さあ、おいでください。もう準備ができましたから』と言わせた。

ところが、みんな一様に断りはじめた。最初の人は、『わたしは土地を買いましたので、行って見なければなりません。どうぞ、おゆるしください』と言った。ほかの人は、『わたしは五対の牛を買いましたので、それをしらべに行くところです。どうぞ、おゆるしください』、もうひとりの人は、『わたしは妻をめとりましたので、参ることができません』と言った。

僕(しもべ)は帰ってきて、以上の事を主人に報告した。すると家の主人はおこって僕(しもべ)に言った、『いますぐに、町の大通りや小道へ行って、貧乏人、不具者、盲人、足なえなどを、ここへ連れてきなさい』。

僕(しもべ)は言った、『ご主人様、仰せのとおりにいたしましたが、まだ席がございます』。主人が僕(しもべ)に言った、『道やかきねのあたりに出て行って、この家がいっぱいになるように、人々を無理やりにひっぱってきなさい。あなたがたに言って置くが、招かれた人で、わたしの晩餐にあずかる者はひとりもないであろう』」。

「神の国で食事をする人は、さいわいです」

この列席者のひとりは、どういう意味でこう言ったのかは分かりませんが、とにかく、神の国で、神と共に食事の席に着くことができるとすれば、こんなに素晴らしいことはない。そういう意味で言ったのかもしれません。しかし、それに答えて言ったイエス・キリストのたとえ話は、そこに招かれていた人たちは皆一様に断ったという話です。

神の国

神の国とは、自己中心、人間中心を退けて、神の願いや思いを中心にして、神に従う者たちの国、神を王とすることを喜ぶ者たちの国です。人々はそこに招かれていたにも関わらず、そこに来ないという話です。どういうことでしょうか。本来、招かれていたのはイスラエル民族を指しているのかもしれません。しかし、彼らはイエス・キリストの話を聞いても、結局、神に立ち帰らず、むしろイエス・キリストを十字架につけて殺してしまいます。そのことを示唆しているのかもしれません。

それが分かるか

また、神の国こそ救いであり、喜びであり、最高の宝であることを、人はなかなか分からないということが言われているのかもしれません。私たちは天地万物を造られた、唯一の神に招かれているのです。何を差し置いても、まず神に立ち帰ること、そして神の前に正しく誠実に生きるべきではないでしょうか。日本人ならそれが分かるのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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