【日本とイスラエル】エゼキエルの二本の杖

杖を握る手

日本とイスラエルに関連する事柄について、畠田秀生著「日本は聖書の国だった!」からご紹介いたします。

神谷氏の説明

終末の預言で的確な説明をした私の友人神谷氏(名古屋在住、ビジネスマンであり聖書研究家)は、ユダの杖について次のように語った。

ユダと、それにつくイスラエル人

エゼキエル書(旧約聖書)の37章の16節にある「ユダと、それにつくイスラエル人」とは、すなわち今日の「ユダヤ人」のことである。ユダヤ人には、改宗者もいるし異邦人もいる。また後にエチオピアに移動した「ダン」も帰還して住んでいる。

イスラエルに住む人たち

ユダヤ教を信奉している現時点でのイスラエルに住む人たちをして、イスラエル人と記したのは、エゼキエルの終末を見た洞察力である。そこには白人も黒人も黄色人種のミャンマー人もいる。これは使徒の働き(新約聖書)の中の2章11節に述べてある「ユダヤ人もいれば改宗者もいる。」という説明で明らかである。

ユダヤ人だと自称する人たち

また黙示録(新約聖書ヨハネの黙示録)2章9節にある「ユダヤ人だと自称しているが、実はそうでなく、かえってサタンの会衆である人たちから、ののしられていることも知っている。」も含まれる。

サタンの会衆に属する者

また同じ黙示録3章の9節にも「見よ、サタンの会衆に属する者、すなわち、ユダヤ人だと自称しながら実はそうでなくて、うそを言っている者たちに、わたしはこうする。」とあるように、「イスラエル人」という場合には、ある程度の異邦人も含まれている。

アシュケナジー系とスファラディ系ユダヤ人

1948年イスラエル国家建国以来、その人口構成が、主にアシュケナジー系とスファラディ系ユダヤ人で成立している現状を見るとき、聖書のみことばの確かさを見る。(聖書と日本フォーラム大阪大会2007分科会にての研究発表による)

エフライムの杖

そして、続けて「エフライムの杖ヨセフ」について。以下も神谷氏の説明から抜粋する。「それにつくのは、『イスラエルの全家』であり、『イスラエルの諸部族』である。これにはユダヤ人のように異邦人は含まれない。純粋なアブラハムの血を引いている人々。だがこの世の終わりの何千年もたった時代まで、純粋に血筋が保たれているなどということはありえるのだろうか。しかし、エゼキエル預言では、明らかに『全家』と『諸部族』と預言されている。」

不思議に守られた国

このように説明されてみると、今このとき、日本という国の成り立ちと現在までの保存状態を鑑みるならば、世界に的中している国が他にない。その国は、他の民族と接触をする危険な状態に追い込まれたことがあったとしても、純粋さを保つことを余儀なくさせられた。海に囲まれていた。他国が侵略しようとして攻めてきたときも、自分たちを守った国、また不思議にも守られた国であった。

二つの杖は合体する

エゼキエルは預言している。「この二つの杖は合体する」と。神が合体させると言ったのである。ユダは今のイスラエルという国家であり、もうひとつエフライム部族を頂点とする群れは、どこの国家なのかもう読者は悟られたであろう。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、信仰、国民性に深い関係があると思います。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 16章19~31節

ある金持がいた。彼は紫の衣や細布を着て、毎日ぜいたくに遊び暮していた。ところが、ラザロという貧乏人が全身でき物でおおわれて、この金持の玄関の前にすわり、その食卓から落ちるもので飢えをしのごうと望んでいた。その上、犬がきて彼のでき物をなめていた。

この貧乏人がついに死に、御使たちに連れられてアブラハムのふところに送られた。金持も死んで葬られた。そして黄泉(よみ)にいて苦しみながら、目をあげると、アブラハムとそのふところにいるラザロとが、はるかに見えた。

そこで声をあげて言った、『父、アブラハムよ、わたしをあわれんでください。ラザロをおつかわしになって、その指先を水でぬらし、わたしの舌を冷やさせてください。わたしはこの火炎の中で苦しみもだえています』。

アブラハムが言った、『子よ、思い出すがよい。あなたは生前よいものを受け、ラザロの方は悪いものを受けた。しかし今ここでは、彼は慰められ、あなたは苦しみもだえている。そればかりか、わたしたちとあなたがたとの間には大きな淵がおいてあって、こちらからあなたがたの方へ渡ろうと思ってもできないし、そちらからわたしたちの方へ越えて来ることもできない』。

そこで金持が言った、『父よ、ではお願いします。わたしの父の家へラザロをつかわしてください。わたしに五人の兄弟がいますので、こんな苦しい所へ来ることがないように、彼らに警告していただきたいのです』。

アブラハムは言った、『彼らにはモーセと預言者とがある。それに聞くがよかろう』。金持が言った、『いえいえ、父アブラハムよ、もし死人の中からだれかが兄弟たちのところへ行ってくれましたら、彼らは悔い改めるでしょう』。アブラハムは言った、『もし彼らがモーセと預言者とに耳を傾けないなら、死人の中からよみがえってくる者があっても、彼らはその勧めを聞き入れはしないであろう』」。

永遠をどこで過ごすのか

これはイエスが語られた譬(たとえ)なのか、それとも事実の記録なのか。私には分かりません。いずれにしても、死後の世界があることが語られ、悔い改めて生きることは、この地上の幸いに関係するだけでなく、死後の運命も決めてしまうことが示唆されています。

いかがでしたか

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本書の目次

一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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