「すべてが日本という国で起こった、神様の御業です。」と語るのは日本滞在33年のポーランド人の神父、ヤン・ブリさん。加藤恭子編「続私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介いたします。
従弟からの連絡
1985年(昭和60)年、32歳になった私は、宮崎にあるサレジオ会の学校で神父として働いていました。ある時、ポーランドにいる大学生の従弟から、「原爆記念日の平和の式典に出席するために来日する。是非、力になってほしい」と連絡がありました。慌てて広島の飛行場に迎えに行った私を待っていたのは、黒いパンと缶詰の入ったリュックサックを背負った人々でした。従弟を含め、本当の学生は3名ほどで、他の14名は「広島の平和式典に参加する」という名目でカメラを構えている共産党のテレビ局やラジオ局の人たちでした。
今夜の宿もない
あてもないまま、色々な修道院にお願いしましたが、宿泊客でいっぱいで何処も空いておらず、今夜の宿もないのです。その時、誰かに、こう言われました。「三滝寺なら、泊めてくれるかもしれない」お寺?異教徒ですよ。重い荷物を背負ったまま、山の方角へと歩きだしました。後で知ったのですが、この寺は、広島の災害時避難場所に指定されており、原爆投下時は、被爆した人々が川を渡り寺へと逃げ込んだために、参道は人々の血で真っ赤に染まったそうです。
和尚さんの親切
寺にたどり着くと和尚さんが出ていらっしゃいました。汗だくの私たちを見るなり「ポーランドから来たの。いいよ。泊まりなさい。寺の裏にある滝で汗を流していらっしゃい」とおっしゃいました。入場券を持っておらず、式典に出られない事情を話すと、「それは大変」と言って、すぐに誰かに電話していました。次の日、和尚さんが手配してくれた車で式場に入ると、一番良い席が用意されていました。式典から戻り、ひと息ついていたら、和尚さんが現れ、折り畳んだ布のようなもの(ふくさ)から出した一万円を全員に配りました。「これで何か食べなさい」と自分の子供にするような自然な行為でした。
長崎は見せましたか
一週間ほど滞在し、「大変お世話になりました」と挨拶すると、「長崎は見せましたか」と聞かれました。行く予定がないことを告げると、急に怖い顔になり「長崎はローマですよ、ヨーロッパに行ってローマを見ないのと同じです。あなたは何故、神父として一番重要なものを人々に見せないのですか」と厳しい口調でたしなめられました。次の朝、また和尚さんから渡されたものは、全員分の長崎行きの切符でした。従弟たちは大変満足して帰路に着きました。
私の心に革命を起こした
ポーランドにいた頃から、私は日本の僧侶に会って、自分の素晴らしい神様や、宗教のことをぜひ伝えたいと夢見ていました。しかし、彼の存在は、自分の中にあった仏教徒に対するイメージとは違ったのです。彼は、何ものにも代えがたい信念を持っていたのです。なにより私を驚かせたのは、寺にアウシュビッツの資料館と慰霊碑があったことです。遠い国で私たちのことを祈ってくれている人がいたなんて。それらのことが、私の心に革命を起こしたのです。
僧侶や宮司は〝おやじ〟のよう
その後は宇土神宮の宮司さんの所にも、外国からのお客様をお連れしたのですが、どんな時も温かく迎え入れてくれました。仏教の僧侶や宮司さんは〝おやじ〟のような雰囲気を持っています。大きくて、やさしくて、厳しいのです。私は今でも教会へ行くと、あの暑い日に出会い、私の心に革命を起こした、三滝寺の和尚さんを思い出して祈りを捧げるのです。すべてが日本という国で起こった、神様の御業です。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、風習、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。
新約聖書 ルカによる福音書 18章9~14節
自分を義人だと自任して他人を見下げている人たちに対して、イエスはまたこの譬(たとえ)をお話しになった。「ふたりの人が祈るために宮に上った。そのひとりはパリサイ人であり、もうひとりは取税人であった。
パリサイ人は立って、ひとりでこう祈った、『神よ、わたしはほかの人たちのような貪欲な者、不正な者、姦淫する者ではなく、また、この取税人のような人間でもないことを感謝します。わたしは一週に二度断食しており、全収入の十分の一をささげています』。
ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天にむけようともしないで、胸を打ちながら言った、『神様、罪人のわたしをおゆるしください』と。
あなたがたに言っておく。神に義とされて自分の家に帰ったのは、この取税人であって、あのパリサイ人ではなかった。おおよそ、自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるであろう」。
自分を低くする
もちろん、断食することも、収入の十分の一をささげることも悪いことではないと思います。しかし、大切なことは、神と人の前に、どれほど自分が優れた者であるかということを誇ることではなく、神の前に遜ることだと教えられています。そういう者を神は高くしてくださる。こうやって、いつも神をその心に据えることが幸いな生き方なのだと思います。
いかがでしたか
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2018年6月11日(月)タピ大決定!
「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの第4回目は、「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~伊勢神宮・京都太秦」と題して、昨年12月23日~31日に訪れた伊勢志摩、京都太秦の報告です。道の駅の情報も交えてお話しします。お近くの方はぜひお出でください。お待ちしております。詳しくは固定ページをご覧ください。
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本書の目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
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五章 「人生の目的」
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