日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
三つの祝福
アマテラスは、彼女の孫であるニニギノミコトを「葦原の千五百秋(ちいほあき)の瑞穂の国」、つまり日本に派遣するのであるが、その時「彼とその子孫が永遠にこの地を支配すること」、「この国が繁栄すること」、そして「神の憐みが彼から去らないこと」という三つの祝福を与えた。
三種の神器
これらの祝福と共に、彼女はニニギノミコトに王権を象徴する三つの神器、聖なる鏡、宝石、そして剣を与えた。この三種の神器は、神聖な象徴でお守りのようなものであるが、全てイスラエルの歴史と関係があるものである。
八咫鏡(やたのかがみ)
まず鏡であるが、これはかつてアマテラス自身の姿が映されたものである。この鏡の起源は、おそらく会見の幕屋の中にあった鏡であろう。ミドラッシュに残された物語によれば、その鏡はシナイ砂漠において、高潔な女性たちの装身具から作製され、幕屋の入り口に置かれていた。
八尺瓊勾玉(やさかにのまがたま)
二つ目の神器である宝石は、三日月状の姿をしており、ヘブライ語の「ユッド」の文字に似ている。この宝石は日本語で「ヤ・サカ」(ヘブライ語で、「主は隠れ家」の意に解せる)と呼ばれている。「ユッド」の文字は「主(神)」を意味する。つまりこのお守りの飾りには「神が彼を保護される」という意味がある。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
三つ目の神器、アマテラスがスサノオから受け取ったとされる神聖な剣には、象徴的な意味がある。それは「戦いでの勝利」である。おそらくその意図するところは、ダビデがペリシテ人ゴリアトとの戦いに勝利したあと、ゴリアトから取り、エポデに包んで保管された剣ではないだろうか?(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。
新約聖書 ルカによる福音書 24章13~31節
この日、ふたりの弟子が、エルサレムから七マイルばかり離れたエマオという村へ行きながら、このいっさいの出来事について互に語り合っていた。語り合い論じ合っていると、イエスご自身が近づいてきて、彼らと一緒に歩いて行かれた。
しかし、彼らの目がさえぎられて、イエスを認めることができなかった。イエスは彼らに言われた、「歩きながら互に語り合っているその話は、なんのことなのか」。
彼らは悲しそうな顔をして立ちどまった。そのひとりのクレオパという者が、答えて言った、「あなたはエルサレムに泊まっていながら、あなただけが、この都でこのごろ起ったことをご存じないのですか」。
「それは、どんなことか」と言われると、彼らは言った、「ナザレのイエスのことです。あのかたは、神とすべての民衆との前で、わざにも言葉にも力ある預言者でしたが、祭司長たちや役人たちが、死刑に処するために引き渡し、十字架につけたのです。
わたしたちは、イスラエルを救うのはこの人であろうと、望みをかけていました。しかもその上に、この事が起ってから、きょうが三日目なのです。ところが、わたしたちの仲間である数人の女が、わたしたちを驚かせました。
というのは、彼らが朝早く墓に行きますと、イエスのからだが見当たらないので、帰ってきましたが、そのとき御使が現れて、『イエスは生きておられる』と告げたと申すのです。
それで、わたしたちの仲間が数人、墓に行って見ますと、果して女たちが言ったとおりで、イエスは見当りませんでした」。
そこでイエスが言われた、「ああ、愚かで心のにぶいため、預言者たちが説いたすべての事を信じられない者たちよ。キリストは必ず、これらの苦難を受けて、その栄光に入るはずではなかったのか」。
こう言って、モーセやすべての預言者からはじめて、聖書全体にわたり、ご自身についてしるしてある事どもを、説きあかされた。それから、彼らは行こうとしていた村に近づいたが、イエスがなお先へ進み行かれる様子であった。
そこで、しいて引き止めて言った、「わたしたちと一緒にお泊り下さい。もう夕暮になっており、日もはや傾いています」。
イエスは、彼らと共に泊まるために、家にはいられた。一緒に食卓につかれたとき、パンを取り、祝福してさき、彼らに渡しておられるうちに、彼らの目が開けて、それがイエスであることがわかった。すると、み姿が見えなくなった。
イエスを認めることができなかった
不思議なことですが、イエスと共にいながら、イエスと分からなかったと記されています。イエスの姿はどのような姿だったのでしょうか。
心がにぶい
心がにぶいとは、人の思いが中心になっており、神が中心になっていない状態のことではないでしょうか。メシヤの復活は旧約聖書の預言者たちが預言していることでした。人を中心にしている限り、そんなことはあるはずがないという考えからは抜け出すことができないでしょう。神を中心にした時に、私たちの世界を見る視点は根本から変わるのではないでしょうか。
イエスであることがわかった
目が開けるとはどういうことでしょうか。それは彼らの思いが人間中心から神中心に変わった瞬間だったのではないでしょうか。その時、それがイエスであることがわかったのではないでしょうか。
いかがでしたか
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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