【日本人と日本文化】日本人はとにかく親切

「もう私は韓国には住めないかもしれません。」と語るのは、日本滞在約10年の韓国人、ユン・ミョンスクさん。加藤恭子編「続・私は日本のここが好き!外国人43人が深く語る」からご紹介いたします。

清潔感に驚きました

銀座の中央通りを初めて歩いたとき、その整然とした街並みや、ゴミがひとつも落ちていない清潔感に驚きました。建物にはヒビがひとつもなくて、ずいぶんしっかりと建ててあるなぁと感心しました。韓国には地震がほとんどないので、ちょっと前の建物などはヒビがたくさん入っていて、構造的に日本と比べて弱いようです。

街並みだけではありません

整然としていて清潔なのは東京の街並みだけではありません。日本のトイレもです。ピカピカに清潔な空間のなかで、人々がきちんと一列に並んで待っているではないですか。韓国ではイタリアと一緒で、だれも並びません。

感動しました

あるとき、タクシーに乗って友人の家に行こうとしたことがありました。私はまったく道が分らなかったのですが、タクシーの運転手さんは一生懸命、地図を見ながら探して探して、狭い道もハンドルを何度も切り返しながら入っていってくれて、ついに友人の家の玄関まで連れていってくれたことがありました。なぜここまで親切なのだろうかと感動しました。韓国では多分、目的地の近くで下ろされて、「後は自分で探してください」ということになったと思います。

とにかく親切で優しくて

日本人はとにかく親切で優しくて、私は大好きです。韓国に帰るとイライラしてしまいます。例えば、日本のサービス業。デパートなどに行くと申し訳ないくらい店員さんが親切です。以前ゴディバで小さなチョコレートを買ったことがありましたが、その小さな袋をわざわざ店の表まで持って行ってくれました。こんなこと韓国ではありえません。

笑顔で快く接客してくれます

また、日本ではお店だけでなく、どこのレストランに行っても笑顔で快く接客してくれます。高価なフレンチ・レストランはもちろんのこと、ふつうの焼き鳥屋さんまで笑顔で優しいので、食事がより美味しく感じられます。それに子供用のおしぼりやフォークを頼まなくても出してくれたりして、子供を大切にしてくれます。(つづく)(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の高い国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 ルカによる福音書 23章44~49節

時はもう昼の十二時ごろであったが、太陽は光を失い、全地は暗くなって、三時に及んだ。そして聖所の幕がまん中から裂けた。そのとき、イエスは声高く叫んで言われた、「父よ、わたしの霊をみ手にゆだねます」。こう言ってついに息を引きとられた。

百卒長はこの有様を見て、神をあがめ、「ほんとうに、この人は正しい人であった」と言った。この光景を見に集まってきた群衆も、これらの出来事を見て、みな胸を打ちながら帰って行った。

すべてイエスを知っていた者や、ガリラヤから従ってきた女たちも、遠い所に立って、これらのことを見ていた。

息を引きとられたイエス

その時、昼の十二時から三時まで太陽が光を失い、全地が暗くなるという、日食のような異変が起こったことが記されています。そして、神が臨在される神殿の至聖所と聖所を隔てていた幕がまん中から裂けたと記されています。イエスの十字架の死によって、これまで年に一度、大祭司だけが入ることが許されていた至聖所の幕が裂け、すべての人が神の臨在の前に出ることができるようになったということを象徴しているのかもしれません。

ほんとうに、この人は正しい人であった

それはローマの百卒長にも分かりました。誰でもその良心で判断するなら分かることではないでしょうか。どの宗教が正しいのかということではありません。何が神の前に正しいことなのかということです。これらは歴史的な出来事であり、多くの目撃者があったことがここには記されています。

いかがでしたか

参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。

新刊「日本人の幸せ」が出版されました!

Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が電子版で先行販売されました。(紙の本は現在準備中です。)一人でも多くの方に読んでいただけるように、価格を100円といたしました。これを記念して既刊の「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」も電子版の価格を100円にしました。ぜひお読みください。レビューのご協力もよろしくお願いします。

 


目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。