【日本とイスラエル】日本語の由来(4)

カタカナ

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

カタカナとひらがなの起源

カタカナとひらがなという日本語の文字があるが、この文字の起源は古代ヘブライ語であり、左から右に書かれる。この文字の奇妙さに気が付いた日本の研究者グループが、1940年代初頭に、これらの文字のもとの形を復活させようと試みた。そして自分たちの主張に正当性を与えるため、彼らは右から左に向けて書かれた新聞を発行しようとした。

どの方向に書かれたのか

戦争が激しくなってきたことや、他の優先事項があったため、この新聞は二度発行されただけで終了し、彼らの主張も忘れ去られたが、今日もなお右から左に向けて書く雑誌は発行されている。もし今日、ヘブライ語・アラム語を起源とする単語で、そのオリジナルの発音や書き方が変化してしまった古代日本語を解読し、再現しようと試みるならば、私たちはまず、その文書がもともとどの方向に書かれたのかを調べなければならない。

「高天原」の解読

ヘブライ語の語数はだんだんと少なくなっていったため、何世代も経るうちに多くのヘブライ単語が、概念に変化していった。抽象概念と複数の意味とで構成される漢字も、その革命に貢献した。例えば、神々がそこから降って来たとされる「高天原(タカ・アマ・ハラ)」という言葉の解読を試みてみよう。「タカ」という言葉は、アラム語で「机、台」を意味する。「ハラ」はヘブライ語で「山」であるが、中国語の影響で「ハラ」はまた「高さ」を意味する抽象概念となった。

「アマ」とは

「アマ」であるが、ヘブライ語で「イマ」は「母親」である。他の多くの民族がそうであるように、日本人も天と地を男女の関係になぞらえた。多くの場合、地は母たる女性であり、そこに雨を降らせて豊穣をもたらす天は男性である。しかし古代の、天と地がまだ柔らかくて区別がない時代であったため、ここでの「アマ」は「天」を意味する。またこの語は、「最高」を意味する抽象概念となった。

最高の高き台地

このように考えると、「タカ・アマ・ハラ」の三語の意味は「最高の高き台地」である。ここには遠く古代、そこに「神々」が住んでおられた時代の、神聖な思いが込められている。彼らは「高い台地」、つまり高原からやって来た。今日でも抽象概念としてではなく、地理学や地質学で高地のことを「台地」と呼ぶことがある。これは高くて、平たんな土地のことである。その通り、十部族はパミール高原からやって来たのである。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心で聖書を読んでみてください。

新約聖書 ヨハネによる福音書 3章1~15節

パリサイ人のひとりで、その名をニコデモというユダヤ人の指導者があった。この人が夜イエスのもとにきて言った、「先生、わたしたちはあなたが神からこられた教師であることを知っています。神がご一緒でないなら、あなたがなさっておられるようなしるしは、だれにもできはしません」。

イエスは答えて言われた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも新しく生まれなければ、神の国を見ることはできない」。

ニコデモは言った、「人は年をとってから生まれることが、どうしてできますか。もう一度、母の胎にはいって生まれることができましょうか」。

イエスは答えられた、「よくよくあなたに言っておく。だれでも、水と霊とから生まれなければ、神の国にはいることはできない。肉から生まれる者は肉であり、霊から生まれる者は霊である。あなたがたは新しく生まれなければならないと、わたしが言ったからとて、不思議に思うには及ばない。風は思いのままに吹く。あなたはその音を聞くが、それがどこからきて、どこへ行くかは知らない。霊から生まれる者もみな、それと同じである」。

ニコデモはイエスに答えて言った、「どうして、そんなことがあり得ましょうか」。

イエスは彼に答えて言われた、「あなたはイスラエルの教師でありながら、これぐらいのことがわからないのか。よくよく言っておく。わたしたちは自分の知っていることを語り、また自分の見たことをあかししているのに、あなたがたはわたしたちのあかしを受けいれない。わたしが地上のことを語っているのに、あなたがたが信じないならば、天上のことを語った場合、どうしてそれを信じるだろうか。天から下ってきた者、すなわち人の子のほかには、だれも天に上った者はない。そして、ちょうどモーセが荒野でへびを上げたように、人の子もまた上げられなければならない。それは彼を信じる者が、すべて永遠の命を得るためである」。

ニコデモ

ニコデモは他のユダヤ教の指導者たちとは違い、真理を求めていたようです。ニコデモは真理を求めてイエスのもとにやって来たのでしょう。イエスはニコデモに神の国について語りました。それは新しく生まれることだと教えています。どういうことなのでしょうか。

新しく生まれる

生まれながらの人間は神中心には生きてはいません。そのような人間が神の御心に生きるとは、新しく霊的に生まれ変わることだとイエスはニコデモに教えたのでしょう。それは頭で理解できません。なぜなら、人はそれを経験的に知らないからです。経験したことのないことをどうやって知ることができるというのでしょうか。イエスの言っていることを受け入れて、神の御心を第一にした生き方をすることです。それがまったく新しく生まれること。まったく新しい生き方をすること。まったく人生が一新されること。イエスはそう教えたのでしょう。

いかがでしたか

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目次

第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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