【日本とイスラエル】神武天皇の秘密(2)

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

キノエトラ

神武天皇とその民が日本に到着した年は、日本民族にとって重大な記念すべき時であったが、この年はとても変わった日本語で「キノエトラの年」と呼ばれる。この言葉に日本語の意味はないが、ヘブライ語では「トーラー・ヤー・コノー」(主のトーラーの獲得)と理解できる。長く困難な旅を終えて、かの指導者は高千穂の麓に留まった。

高千穂

「高千穂」を「タカ・ツィヨ(ン)」と発音すれば、アラム語で「シオンの山」という意味になる。その神武天皇は、長老たちに呼びかけて山の頂に上り、東方に広がる「葦原の国」を眺めた。そして「これこそが私たちの父祖の、さらに父祖たちに約束された国である」と言って、その地を占領するように命じた。

ミチノオミ

実際、長老たちは民を集め、「天の神々」が彼らに約束した地に向けて進んでいった。軍の長であるヒノオミが、選抜された優秀な兵士と「宇陀(ウダ)」という地に進み、「穿(ウカチ)」という名の村で戦いがあってこの地を占領した。この地の戦いは天孫にとってとても重要なものであったので、指導者である神武は、軍の長であるヒノオミの名前を「道臣(ミチノオミ)」と変えた。この名はヘブライ語で「ミー・キナー・アミー」、つまり「誰がわが民のために熱心であろうか」と解釈できる。

カガナ、エビス、タダ

彼らは、険しい山中から脱出して他の地方の平定を進めていくが、「ソホ(ヘブライ語で「葦」)」という地方に、天孫に帰順せずに攻撃をしてくるカガナ(カナン人?)、エビス(エブス人?)、タダ(意味不明)と呼ばれる人々がいた。彼らはこの地方の洞窟に住む人々である。その時ミチノオミは策略を用い、待ち伏せする部隊を隠しておき、敵の軍が町を出て待ち伏せ部隊に近づいてきたところで一気に襲いかかって、敵を打ち破った。

金の鵄

ミチノオミは再びナガスネヒコの領地に入るが、今回は奇跡的な方法で勝利がもたらされた。戦いが激しくなってきたときに、敵の頭上に天から雹が降って来たのである。さらに輝く金の鵄が現れて敵の目をくらまし、敵を散々に打ち破ることができた。

アガタヌシ

天孫による東征が始まってから七年目の一月一日、神武天皇は神殿でもある御殿を竣工した。さらに一年がたち、全土に戦がなくなり平穏になった時、神武天皇は「葦原の国」を分割して諸部族の長に治めさせるようにし、彼らに「県主(アガタヌシ)」という称号を与えた。「アガタ」というアラム語は「杖」を現す。彼らがこう呼ばれたのは、部族の長の印として彼らが杖を持っていたからではないだろうか。そして、神武天皇の即位から76年後、127歳の時に神武天皇は崩御し、畝傍(ウネビ)山(モーセが葬られたネボ山?)に葬られた。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を読んでみてください。

新約聖書 マタイによる福音書 14章22~33節

それからすぐ、イエスは群衆を解散させておられる間に、しいて弟子たちを舟に乗り込ませ、向こう岸へ先におやりになった。そして群衆を解散させてから、祈るためひそかに山へ登られた。夕方になっても、ただひとりそこにおられた。

ところが舟は、もうすでに陸から数丁も離れており、逆風が吹いていたため、波に悩まされていた。イエスは夜明けの四時ごろ、海の上を歩いて彼らの方へ行かれた。弟子たちは、イエスが海の上を歩いておられるのを見て、幽霊だと言っておじ惑い、恐怖のあまり叫び声をあげた。

しかし、イエスはすぐに彼らに声をかけて、「しっかりするのだ、わたしである。恐れることはない」と言われた。するとペテロが答えて言った、「主よ、あなたでしたか。では、わたしに命じて、水の上を渡ってみもとに行かせてください」。

イエスは、「おいでなさい」と言われたので、ペテロは舟からおり、水の上を歩いてイエスのところへ行った。しかし、風を見て恐ろしくなり、そしておぼれかけたので、彼は叫んで、「主よ、お助けください」と言った。

イエスはすぐに手を伸ばし、彼をつかまえて言われた、「信仰の薄い者よ、なぜ疑ったのか」。ふたりが舟に乗り込むと、風はやんでしまった。舟の中にいた者たちはイエスを拝して、「ほんとうに、あなたは神の子です」と言った。

水の上を歩く

これもまた事実の記録なのでしょうか。この聖書の記述を見ると、決して当たり前のこととしてではなく、驚くべき事実として記されているように感じます。イエスを通して、神の超自然的な力が働いていたということであり、ペテロも神の力によって水の上を歩いたということを伝えているように思います。

なぜ疑ったのか

ペテロはイエスを通して神の驚くべき力が働くのを見て、神に目を留めている間は水の上を歩きましたが、神から目が離れた時に沈んだと記されているようです。大切なことは、問題に目を奪われないで、神に目を留め続けることではないでしょうか。

イエスを拝した

イエスは単なる教師ではない。イエスを通して確かに神の驚くべき力が働いている。弟子たちはそのことを目の当たりにして、イエスを拝したのではないでしょうか。神を中心にして生きるとは、単なる教えではなく、実際に生きて働く神の超自然的な力に目を留めて生きることではないかと思います。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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