【日本とイスラエル】神武天皇と聖書の不思議な共通性

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

「四」という数字

日本の伝承では神武軍が撃ち負かされた戦いが、東征出発の四年後に起きたと伝えている。「四」という数字が、聖書物語でも「四十」という数字になって四度も使われている。斥候たちは四十日間イスラエルの地を探るために行き巡る。そして、斥候たちの否定的な報告を聞いたイスラエルの民が騒ぎ出したことに対して、モーセは痛みを持って次の神の判決を民に伝えた。

四十年の放浪の旅

「お前たちの子供は、荒れ野で四十年の間羊飼いとなり、お前たちの最後の一人が荒れ野で死体となるまで、お前たちの背信の罪を負う。あの土地を偵察した四十日という日数に応じて、一日を一年とする四十年間、お前たちの罪を負わねばならない。お前たちは、わたしに抵抗するとどうなるかを知るであろう」。

ナガスネヒコ

聖書の物語では、イスラエル人を打ち負かした敵軍の長の名前は書かれていない。一方日本の伝承では、敵の名前は、日本語では特に意味のない「ナガスネヒコ」と伝えられている。しかしこの名前をヘブライ語で解読すると「ネガ・ソンイー」、つまり「私の敵による苦悩」という意味となる。「この残酷な戦いで、敵によってもたらされた苦悩、痛み」という意味になるのである。

雲の柱、火の柱

聖書物語では、砂漠の道案内がどれほど困難なものであったかについて記している。イスラエルの民が自分で行く道を知ることができなかったため、奇跡的な方法で道案内される様子が描かれている。つまり、昼には彼らの前に先立ってゆく雲の柱と、夜に彼らを導く火の柱である。

不思議なカラス

聖書物語と同様、古事記でも、この荒れ地での道案内がどれほど困難であったかを記している。絶望的な状況の時に、民族の母「アマテラス」により彼らを導く不思議なカラスが派遣される。

ヨシュア

ユダヤと日本の二つの伝承のどちらにおいても、指導者に忠実な従者が勇敢な働きをなしたあと、その名前が変わっている。「モーセは、ヌンの子ホシェアをヨシュアと呼んだ」。モーセは「ホシェア」の名前の頭文字に、神を意味する「ユッド」の文字を加えたのである。あたかも女神アマテラスが、その孫を地上に遣わす時に「ユッド」の文字の形をした宝石を持たせた話のようである。この宝石は日本語で「ヤサカ」と呼ばれるお守りであるが、「ヤサカ」はヘブライ語で「神が保護したもう」という意味になる。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは、今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開いてみてください。そこに古くて新しい発見があるでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 15章21~28節

さて、イエスはそこを出て、ツロとシドンとの地方へ行かれた。すると、そこへ、その地方出のカナンの女が出てきて、「主よ、ダビデの子よ、わたしをあわれんでください。娘が悪霊にとりつかれて苦しんでいます」と言って叫びつづけた。

しかし、イエスはひと言もお答えにならなかった。そこで弟子たちがみもとにきて願って言った、「この女を追い払ってください。叫びながらついてきていますから」。

するとイエスは答えて言われた、「わたしは、イスラエルの家の失われた羊以外の者には、つかわされていない」。しかし、女は近寄りイエスを拝して言った、「主よ、わたしをお助けください」。

イエスは答えて言われた、「子供たちのパンを取って小犬に投げてやるのは、よろしくない」。すると女は言った、「主よ、お言葉どおりです。でも、小犬もその主人の食卓から落ちるパンくずは、いただきます」。

そこでイエスは答えて言われた、「女よ、あなたの信仰は見あげたものである。あなたの願いどおりになるように」。その時に、娘はいやされた。

カナンの女

ユダヤ人ではない女が、イエスの噂を聞きつけて、娘のいやしのためにイエスのところにやって来ましたが、イエスは何もお答えにならず、また弟子たちに求められても、「わたしの使命はイスラエル人の回復だ」と言われて、これを退けました。もちろん、神は全人類が神のもとに立ち帰ることを望んでおられると思います。しかし、イエスがそうであったのであれば、私たちはなおさら一人ですべてを行うのではなく、それぞれ自分に与えられている分、自分の使命というものに集中すべきでしょう。

あなたの信仰は見あげたものである

女はその通りだと認めながらも、おこぼれには預かれるのではないかと言い、イエスは「あなたの信仰は見あげたものである」と言われました。このように遜る姿をイエスは信仰と呼び、褒めたのではないでしょうか。私たちはどうでしょうか。

いかがでしたか

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10月17日(水)タピ大決定!

「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの5回目になりました。今回は「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~剣山・ソロモンの秘宝」と題して、この8月6日~16日の旅行のレポートをさせていただきます。お近くの方はぜひお出かけください。タピ大については、こちらのサイトをご覧ください。

新刊「日本人の幸せ」(電子版100円)をお買い求めください!

Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が販売されました。一人でも多くの方に読んでいただけるように、電子版の価格を100円といたしました。(紙の本も販売しております。詳しくはAmazonのサイトでご確認ください。)これを記念して既刊の「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」も電子版の価格を100円にしました。ぜひお読みください。レビューのご協力もよろしくお願いします。

 

目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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