【日本とイスラエル】ヨシュアとミチノオミの不思議な関係

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

ヨシュアに与えられた特別なしるし

指導者モーセがヨシュアに対して特別なしるしを与えたということは、ヨシュアがそれまで行ってきた秀でた行動に対する特別な評価があったからだと考えられる。それぞれの部族の指導者で構成された偵察隊の中で、モーセは彼一人だけにしるしを与えたのである。そして事実、偵察の後、十二人の偵察隊の中でたった二人だけが使命に対する勇気と積極性とを表し、他の十人の扇動によって悲観し、騒ぎ出す民を前にして、自分たちが偵察によって見、また学んできた事柄から、他の十人とは全く異なる結論を主張したのであった。

ミチノオミ

おそらくヌンの子ヨシュアの行動はとても勇敢なものであったのであろう。古事記や日本書紀に残された日本の伝承でも、活躍して名を挙げた指導者の名前が変わったことを示すことによって、その行為を高く評価している。ただ日本神話では、名前の変更は、民が荒れ野で道に迷い、ヒノオミの機知によって、その荒れ野を脱し、約束の地へと導かれたという事実に起因している。神話的指導者である神武は、ヒノオミの持つ機知を讃えて、その名前を「ミチノオミ」に変えたのである。この名前は、ヘブライ語では「誰がわが民のために熱心であろうか」(ミー・キナー・アミー)と解釈できる。

ヘブライ伝承から消し去られた出来事

もしかすると、日本の伝承には、ヘブライ伝承から消し去られた出来事への示唆が含まれているのかもしれない。カナンの地を偵察している時に彼らは道に迷い、ヌンの子ヨシュアの機知によってその状況を脱出した。

聖書と日本伝承の不思議な一致

ともかく、聖書と日本に残されたこれら二つの伝承は、同一人物の勇猛で稀有な性質と、神武やモーセという指導者への忠誠を伝えており、約束の地への果てしない旅路で起きた同じ出来事を描き出している。しかし、ヨシュアという次代の指導者の名前変更に関する物語では、それぞれの伝承が異なる出来事に強調点を置いている。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開いてみてください。そこに古くて新しい発見があるでしょう。

新約聖書 マタイによる福音書 15章29~31節

イエスはそこを去って、ガリラヤの海べに行き、それから山に登ってそこにすわられた。すると大ぜいの群衆が、足なえ、不具者、盲人、おし、そのほか多くの人々を連れてきて、イエスの足もとに置いたので、彼らをおいやしになった。

群衆は、おしが物を言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て驚き、そしてイスラエルの神をほめたたえた。

イスラエルの神をほめたたえた

イエスと弟子たちの一行は、ツロとシドンの地方を後にし、再びガリラヤ湖に戻って来ました。群衆はまた大ぜいの足なえ、不具者、盲人、おし、そのほかの人々をイエスのもとに連れて来ました。イエスにいやして欲しいと期待していたのだと思います。イエスは彼らを一人残らず、全員いやしたとあります。このような超自然的な奇跡的な出来事は事実の記録なのでしょうか。群衆は、おしが物を言い、不具者が直り、足なえが歩き、盲人が見えるようになったのを見て驚いたと書かれており、それは当たり前ではなく、驚くべき出来事と記されているところから判断するなら、これは事実の記録だろうと私は考えます。聖書はイエスを通して、神の超自然的な力が働いていたことを事実として伝えていると思います。また、群衆はイエスを超人としてほめたたえず、イスラエルの神をほめたたえたと書いてあります。群衆はこのような奇跡的な出来事を見て、それはイエスの力ではなく、イスラエルの神の力が目の前で働いていると受け止めたのだと思います。このように聖書はイエスを決して非現実的な超人として描いていないことが分かります。

この神に信頼して生きる

神は決して頭の中の概念ではなく、今も現実に働く力であることを聖書は伝えています。この神に目を留めて生きることが大切ではないでしょうか。それは何かの宗教の信者になることではありません。人間的には絶望としか思えないような現実の中で、絶望を越えて働く神に目を留めて生きることであり、決して絶望することのない希望を神に置くことです。それが信仰であり、宗教ではありません。それは日本人が太古の昔から大切にしてきた心であり、イエスが伝えた信仰です。

いかがでしたか

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10月17日(水)タピ大決定!

「古代史に見る日本人とユダヤ人の不思議な関係」シリーズの5回目になりました。今回は「古代ユダヤ人ゆかりの地を巡る旅~剣山・ソロモンの秘宝」と題して、この8月6日~16日の旅行のレポートをさせていただきます。お近くの方はぜひお出かけください。タピ大については、こちらのサイトをご覧ください。

新刊「日本人の幸せ」(電子版100円)をお買い求めください!

Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が販売されました。一人でも多くの方に読んでいただけるように、電子版の価格を100円といたしました。(文庫版も販売しております。詳しくはAmazonのサイトでご確認ください。)これを記念して既刊の「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」も電子版の価格を100円にしました。ぜひお読みください。レビューのご協力もよろしくお願いします。

 

目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

詳しくは書籍情報をご覧ください。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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