日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
アマテラス
スサノオの姉の名前「アマテラス」にもまたメナシェとエフライムを生み出したヨセフ族との関係、さらには日本で最初の王家となることを求める誇りの高さとが示唆されている。
エジプトの女神ハトホル
この女性は日本の伝承では、エジプトの女神ハトホルのように女神として描かれている。ハトホルはその両足の下に全宇宙、すなわち天とその中に満ちるもの、太陽、月、星々を抱き、その両乳房でそれらを養う女神である。彼女は雌牛の姿に具現化されていて、その二つの角の間には太陽が描かれている。
また古代エジプトでは、この女神は王家の衣服をまとった現世的で美しい女性として擬人化されていた。エジプトの数百という神殿が彼女の肖像で飾られており、特にデンダラには壮麗に飾られたハトホル神殿が建つ。
神性と人間性
日本の伝承で女神であるアマテラスが神的・人間的な様々な特質を持った、神性と人間性の両方を兼ね備えた存在として描かれていることは何ら不思議なことではない。彼女は天を住みかとするが、彼女の侍女たちは彼女と一緒に女性の着物を織っている。
彼女とその弟スサノオとの関係は常に愛情と争いとが入り混じる人間的な姉弟関係である。しかし彼女がスサノオを避けて洞穴に逃げ込んだ時には、天は光を失い、世界は深い闇に包まれた。それ故、今日に至るまで、神道の神職たちは毎朝、日の出前に神社に立ち、太陽が無事昇って世界を照らしてくれるよう、東の空に向かって祈るのである。
エルサレム第一神殿の儀式
驚くべきことに、この儀式はエルサレムの第一神殿に仕える祭司たちも、十部族が祖国を追放される二百年前には習慣的に行っていた。ミシュナーの「スカーの項」には次のような記述がある。
彼らは角笛を吹き、東に出る門まで歩いて行った。東に出る門に着くと、彼らは顔を(東から)西に向け、そして言う。「私たちの父祖がこの地にいた時には、彼らは神殿に背を向け、顔を東に向けた。そして彼らは、東の太陽に向かって伏し拝んだ。しかし私たちの目は主に向けられる。」ラビ・ユダは言う。かつてはこう言っていた。「私たちは主に、主に私たちの目は向けられる」と。
私たちは、この神道の儀式から二つのことを学ぶことができる。第一に、この儀式の起源はエルサレムの神殿にあり、十部族がこれを継承していった。二番目は、第二神殿のタナイーム賢者たちは、この儀式を偶像礼拝とみなした。ミシュナーでは明白にこう言われているのである。「彼らは東の太陽に向かって伏し拝んだ。しかし私たちの目は主に向けられる。」
さらにラビ・ユダは「第二神殿の祭司たちはまた異なり『私たち(太陽にではなく)主に、主に私たちの目は向けられる』と言った」と付け加えた。太陽に向かって伏し拝んだ第一神殿時代の祭司たちへの不満が「彼ら」と「私たち」という言葉に強調されている。「彼ら」とは第一神殿時代の祭司であり、「私たち」とは第二神殿時代の祭司なのである。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 マタイによる福音書 17章9~13節
一同が山を下って来るとき、イエスは「人の子が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならない」と、彼らに命じられた。
弟子たちはイエスにお尋ねして言った、「いったい、律法学者たちは、なぜ、エリヤが先に来るはずだと言っているのですか」。答えて言われた、「確かに、エリヤがきて、万事を元どおりに改めるであろう。しかし、あなたがたに言っておく。エリヤはすでにきたのだ。しかし人々は彼を認めず、自分かってに彼をあしらった。人の子もまた、そのように彼らから苦しみを受けることになろう」。
そのとき、弟子たちは、イエスがバプテスマのヨハネのことを言われたのだと悟った。
人の子
それは現実だったのか、それとも幻だったのか。それは分かりませんが、ペテロとヤコブとヨハネはイエスの姿が変り、モーセとエリヤが現れて語り合う様子を見たと記されています。「人の子」とはイスラエルの預言者たちが預言するメシヤのことであり、イエスはご自身のことを指して言っているようです。
弟子たちは理解したのか
イエスはご自身が死人の中からよみがえるまでは、いま見たことをだれにも話してはならないと言われましたが、三人の弟子たちは理解したのでしょうか。彼らは分かりましたとは言わずに、エリヤのことを尋ねました。彼らはいったい何を考えていたのでしょうか。メシヤ、エリヤ、預言者たちの言葉、つまり旧約聖書の言葉に思いを巡らし始めたのかもしれません。
人々はイエスを受け入れるのか
旧約の預言通り、エリヤはすでに来たとイエスは言われたのでしょう。三人の弟子たちは、それはバプテスマのヨハネのことを言われたと理解しました。メシヤもすでに来た。イエスこそ旧約聖書が預言するメシヤである。しかし、人々はイエスを受け入れるだろうか。イエスはそう言われているのかもしれません。
いかがでしたか
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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