ヤマトタケルの物語にはイスラエルに関連する多くの事柄があるようです。アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで~」からご紹介いたします。
アヴォー・ガヒー
三重の村を出て、さらに一行はヤマトの地にある「ノボ」という野に到着したが、その時ヤマトタケルは突然、次のような歌を歌った。「大和は素晴らしい国。青垣(アオガキ)の山のそばにあって、国々の中で最も美しい国・・・」。「ガヒー」はヘブライ語で「爆発」「噴出」を意味するので、「アヴォー・ガヒー」は、「私は感情を爆発させて(そこに)入る」という意味になる。
ノブ
さらに彼は心を高揚させて「その折り重なる山々に囲まれて・・・ああなんと大和は麗しい!」「私の家の方から高く聳える雲が近づいてくる!」と続けて歌った。驚かされるのは、この地域の描写がエルサレム近郊のノブの風景とあまりに似ていることである。
チポル
しかし、ヤマトタケルは今戻りつつある故郷を讃える歌を歌い終えた時、倒れて死に、鳥に姿を変えた。その鳥の名は古事記によると「千鳥(チドリ)」である。ヘブライ語で「鳥」は「チポル」と言うが、「チポル」の「p」の文字がチドリの「d」の文字に入れ替わったということは考えられないだろうか?古代ヘブライ語ではこの二つの音を表す文字は非常に似ているのである。
白鳥御陵
古事記の伝承はヤマトタケルの葬りについて、次のように描いている。彼は鳥に姿を変えて、伊勢の国から飛び立ち「河内(カワチ)」という地に留まった。その地に「白鳥御陵(シラトリノミササギ)」という明らかにヘブライ語的な音を持つ名前の御陵が建てられた。「シーラトー・リナー・ミー・ゼ・ザハー」はヘブライ語で「彼の歌は喜び。それを得る者は誰か?」という意味になる。御陵を建てた後、静けさがその場を覆ったが、その静けさを古事記の日本語では「静まり」と言う。その時、(魂である)白い鳥が陵から飛び立ち、天に翔って行った。
ヤマトタケル埋葬とイスラエルとの関連
ヤマトタケル埋葬の物語はイスラエル十部族の遠い過去を示唆する特徴がいくつかあり、とても興味深い。古事記の注解者にとって、これらの特徴は不可解なものである。それらの意味不明な特徴の解読を試みたい。十部族がイスラエルの地から追放されるおよそ千年前、エジプトにあったイスラエルの居住地では古代エジプトの宗教習慣が広まっていた。そこでは「カー」と呼ばれる人間の霊魂は、死後、鳥の姿になって永遠に霊魂が住まう国に飛んでいく。ヤマトタケルが葬られた土地の名前が「カワチ」と呼ばれたことは何ら驚くことではない。「カー・フォー・ハイ」と読めば、「霊魂はここで生きている」という意味になる。
シラトリ
「シラトリ」という鳥の名前についても忘れてはならないのは、王族であるエフライム族はエジプト王家にも近く、またエジプト祭司の親族でもあったということである。彼らは、人の霊魂は死んだあとも永遠に生き続けるという、死に関して楽観的な古代エジプト人の宗教思想を受け入れていた。この多くの英雄物語を残した勇者の霊魂が彼の死後なお生き残り、歌を歌う鳥になったというのも何ら不思議なことではないのである。
シズマリ
また彼の死後、御陵を支配した不思議な静けさは、古事記では「シズマリ」という奇妙な名前で呼ばれている。おそらくその意図するところは「シェヤツウー・ハズメロー」、つまり「歌い手たち(会葬者たち)が出ていった後」に静かになった、ということであろう。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 4章39~42節
さて、この町からきた多くのサマリヤ人は、「この人は、わたしのしたことを何もかも言いあてた」とあかしした女の言葉によって、イエスを信じた。そこで、サマリヤ人たちはイエスのもとにきて、自分たちところに滞在していただきたいと願ったので、イエスはそこにふつか滞在された。そしてなお多くの人々が、イエスの言葉を聞いて信じた。
彼らは女に言った、「わたしたちが信じるのは、もうあなたが話してくれたからではない。自分自身で親しく聞いて、この人こそまことに世の救主であることが、わかったからである」。
イエスを信じた
ここには多くのサマリヤ人、つまり他民族と混血していたかもしれませんが、北イスラエル十部族の血をひく人々がイエスを信じたことが記されています。この場合の「信じた」とはどういうことでしょうか。もちろん、キリスト教徒になったということではないでしょう。では、どういうことなのでしょうか。それは、イエスをメシヤとして信じたということでしょう。つまり、イスラエル民族が待ち望んでいたメシヤはイエスだと受け入れたということでしょう。
神に立ち返ったサマリヤ人
それはイエスの教えを受け入れたことも意味していると思います。彼らはイエスをメシヤと信じ、イエスが教えたように神に立ち返って生きるようになったのだと思います。ここにも西欧キリスト教とは違う流れの中にもイエスを信じて、神に立ち返って生きるようになった多くの人々がいたことが分かります。彼らの中にもまた後にシルクロードを通って、東へと向かい、日本まで来た者もあったのかもしれません。それはキリスト教とは違う流れの人々であったということです。
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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