【日本とイスラエル】神道

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

神の道

日本民族の古代宗教には、はじめ名前がなかった。ずっと後代になって賢者たちにより「神道」つまり、「神の道」と呼ばれるようになった。なぜこのように呼ばれるようになったかは分からない。

旧約聖書

旧約聖書列王記上の神がソロモン王に語った次の一節が関係しているかもしれない。「もしあなたが父ダビデの歩んだように、わたしの掟と戒めを守って、わたしの道を歩むなら、あなたに長寿をも恵もう」。

中国開封のイスラエル十部族

中国人も中国に住むイスラエル人の宗教を「神の道」と呼び、開封のイスラエル十部族の神殿の門にも金色の文字でそのように書かれていた。彼らはそこから日本にやって来たのである。またこの「神道」という名前には、仏教や儒教と、自分たちとを区別するという目的もあった。

ヴェシナンタ

民族古来の宗教に熱心な紀元八世紀の神道の祭司たちは、文書や口伝で伝えられてきた、まだヘブライ・アラム語的な精神を残していた伝承を守ることを自分たちの使命と考え、彼らの古い教えと宗教を言い表す言葉として「ヴェシナンタ」という名前を選んだ。この言葉はおそらく旧約聖書申命記の「子供たちに繰り返し教え」(ヴェシナンタム・レヴァネイハ)という言葉から取られたのであろう。

シナンタ

日本に来たイスラエル十部族の賢者たちは古代のヘブライ語写本を封印したため、やがてこの「シナンタ(ム)」という言葉から「n」の文字が一つ落ちて、「シントー」に変化した。ヘブライ語文字が失われ、ヘブライ語が会話の言葉からかけ離れていったため、やがてこの言葉は意味の分からない言葉となったのではないか。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 6章15~21節

イエスは人々がきて、自分をとらえて王にしようとしていると知って、ただひとり、また山に退かれた。夕方になったとき、弟子たちは海べに下り、舟に乗って海を渡り、向こう岸のカペナウムに行きかけた。

すでに暗くなっていたのに、イエスはまだ彼らのところにおいでにならなかった。その上、強い風が吹いてきて、海は荒れ出した。四、五十丁こぎ出したとき、イエスが海の上を歩いて舟に近づいてこられるのを見て、彼らは恐れた。

すると、イエスは彼らに言われた、「わたしだ、恐れることはない」。そこで、彼らは喜んでイエスを舟に迎えようとした。すると舟は、すぐ、彼らが行こうとしていた地に着いた。

王にしようとしている

イエスこそ「世にきたるべき預言者」だと考える人々も、イエスを王にしようとしていると知って、イエスはただひとり山に退かれたとあります。「メシヤ」とは「神に特別な聖なる油を注がれた者」という意味であり、確かに「王様」でもありました。しかし、ここには「自分をとらえて王にしようとしている」とあり、群衆は自分たちに都合の良い王にしようとしていることが分かったという意味なのかもしれません。イエスが教えていたことは、そういうことではありません。自己中心を退けて、神に立ち返り、神の願いや思いを中心にして生きるところにこそ救いがあり、それこそが永遠の命だと教えたのだと思います。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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