日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
抵抗運動
皇室のお墨付きを貰うほどに日本に深く浸透してきた中国文化や仏教に対抗するため、紀元八世紀に神道の祭司たちが中心となって抵抗運動が始まった。彼らは、特に日本の高い社会階層の人々、富豪、知識階級などに受け入れられ、あらゆる場所に入り込んでいた中国文化や文字などに対して戦いを挑んだ。
古い遺産
彼らは古き良き時代を取り戻そうとした。つまり、中国語に置き換えられてしまった名前を元のヘブライ・アラム語に戻そうとしたのである。彼らは古い遺産に戻れと呼びかけ、日本の古い文化に関する言葉は全てヘブライ・アラム語に戻して、残されているイスラエルの宗教的、文化的遺産を守ろうとした。
古事記
日本での中国文化の影響は非常に大きかった。712年に天武天皇に献上された日本の古代伝承の集大成である古事記は、まだ原語の形を残した古代宗教の精神で編纂されており、そこに登場する天皇や人々の何百という名前も、まだヘブライ・アラム語の音を残している。
日本書紀
一方、古事記の完成から僅か8年後に献上された日本書記では中国式の編集方式が採用され、中国文字で書かれているだけではなく、その隅々まで中国文化の影響が染み渡っている。例えば神話の登場人物のセリフには中国の修辞的表現が埋め込まれたり、また古代日本の神話伝承が歪められ、古代中国の神話伝承に登場する人物が物語に組み入れられたりする。
中国文化の影響
その後何世代も時間が経つと、古代イスラエル文化に忠実である古事記よりも、中国の影響を受けた日本書記の方が日本の知識階級に浸透し、日本文学の中心に根を下ろした。これは日本の知識階級が中国の文化、文学に対して日本の文化の方が劣っていると見なしたからである。
真実の光
紀元16~17世紀になってようやく、様々な伝承の中から、古代原典の核となっている部分を取り出し、真実の光を当てることを目指した神道への回帰運動が起った。日本の伝承研究、特に日本書記と古事記研究の分野で偉大な功績を残した二人の日本人学者の活躍により、この運動の成果はその頂点に達した。一人は18世紀後半から19世紀前半に活躍した鈴屋大人(すずのやのうし)とも呼ばれた本居宣長(1730~1801)、もう一人は、その弟子の平田篤胤(1776~1843)である。
疑問と謎
古事記と日本書記、その他の日本古典に関する彼らの研究と解説は今日に至るまで日本の古代宗教、古代諸部族、そして古代天皇たちの生活様式などを研究する時の基礎となっている。しかし、これらの勤勉な学者たちは日本語でもなく、中国語でもなく、彼らがその起源を明らかにすることのできるどの言語にも属さない数多くの単語に直面した。実は、それが彼らの古代原語の名残であり、彼らとその宗教のルーツを探る鍵であるのだが、彼らはただ驚いて、疑問と謎について指摘するのみであった。
遅すぎた
当然彼らの取った態度は本質的な解決とは程遠いものであった。彼らは遅すぎたのである。彼らのオリジナルな言語はすでに現地の言葉や外国語などの他言語と混ざり合い、また彼らのオリジナルな文字はすでに封印され、また焼かれてしまっていた。そうして彼らの民族的、宗教的、文化的ルーツをたどる糸、特に言語においてヘブライ・アラム語的ルーツをたどる糸はすでに断たれて久しかったのである。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 6章28~40節
そこで、彼らはイエスに言った、「神のわざを行うために、わたしたちは何をしたらよいでしょうか」。イエスは彼らに答えて言われた、「神がつかわされた者を信じることが、神のわざである」。
彼らはイエスに言った、「わたしたちが見てあなたを信じるために、どんなしるしを行って下さいますか。どんなことをして下さいますか。わたしたちの先祖は荒野でマナを食べました。それは『天よりのパンを彼らに与えて食べさせた』と書いてあるとおりです」。
そこでイエスは彼らに言われた、「よくよく言っておく。天からのまことのパンをあなたがたに与えるのは、わたしの父なのである。神のパンは、天から下ってきて、この世に命を与えるものである」。
彼らはイエスに言った、「主よ、そのパンをいつもわたしたちに下さい」。イエスは彼らに言われた、「わたしが命のパンである。わたしに来る者は決して飢えることがなく、わたしを信じる者は決してかわくことがない。
しかし、あなたがたに言ったが、あなたがたはわたしを見たのに信じようとはしない。父がわたしに与えて下さる者は皆、わたしに来るであろう。そして、わたしに来る者を決して拒みはしない。
わたしが天から下ってきたのは、自分のこころのままを行うためではなく、わたしをつかわされたかたのみこころを行うためである。わたしをつかわされたかたのみこころは、わたしに与えて下さった者を、わたしがひとりも失わずに、終わりの日によみがえらせることである。わたしの父のみこころは、子を見て信じる者が、ことごとく永遠の命を得ることなのである。そして、わたしはその人々を終わりの日によみがえらせるであろう」。
神のわざ
イエスを求めてついて来た群衆に語ったイエスの言葉の続きです。「神がつかわされた者を信じることが、神のわざ」とイエスは教えました。群衆はイエスのことを言っていると理解したようです。イエスを信じるとは、キリスト教徒になるということではありません。イエスの教え、つまり自己中心を退けて、神に立ち返って、神の喜びとなる生き方をすること。それが「神のわざ」だと教えたのだと思います。
よみがえり
ここでイエスは「その人々を終わりの日によみがえらせる」と言ったことが記されています。神に立ち返って生きるとは、現世における生き方だけでなく、終わりの日、永遠の世界にも関係していることだと教えたのではないでしょうか。
いかがでしたか
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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