日本とイスラエルに関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
厩(うまや)
伊勢神宮の外宮の傍には厩が置かれている。昔はほとんどの神社に厩が置かれていた。馬を神に奉納する習慣は非常に古いものであるが、その起源がどこにあるのか神職であっても知らない。
その起源
イスラエルの宗教でも馬を捧げる習慣はない。ただ、ソロモン王が建てた神殿の傍には厩が置かれていた。それはおそらく神殿と王の宮殿とを防衛する目的で置かれていたのだろう。神道の最初の祭司たちはエルサレムの神殿をそのまま模倣して厩を置くことを代々の決まりとしたのではないか。
聖書の記述
驚かされるのは、エルサレムの神殿と神道の神社、その双方で厩が太陽を拝する祭儀と関連を持っていることである。そのヒントになる箇所が偶然聖書に残されているが、それはこの厩の謎を解くだけではなく、より理解を深める鍵となる。旧約聖書列王記にはユダ王国のヨシア王が王国内に蔓延していた異教崇拝を排除する記事があるが、その時、この馬を捧げる習慣も排除したのである。
「彼はユダの王たちが太陽にささげて、主の神殿の入り口、前庭の宦官ネタン・メレクの部屋の傍らに置いた馬を除き去り、太陽の戦車を火で焼いた」。
日本に持ち込まれた習慣
この不思議な習慣の起源については、これ以上の事は分からない。ただ考えられるのは、マナセ族に属するアマテラスとスサノオの祖先は、まだエジプトにいるころから馬の養育に携わり、イスラエルの地でもそれを継承し、日本にもそれを持ち込んだ。そのことと神道の馬の奉納とはおそらく関係があるということである。その起源を知らない神道の祭司たちは、ただエルサレムの神殿での習慣をそのまま聖なるものとして代々守り続けてきたのである。今日に至るまでエルサレム神殿の敷地内には、かつての罪の記念碑のように厩の廃墟跡が残されている。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 7章45~53節
さて、下役どもが祭司長たちやパリサイ人たちのところに帰ってきたので、彼らはその下役どもに言った、「なぜ、あの人を連れてこなかったのか」。下役どもは答えた、「この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした」。パリサイ人たちが彼らに答えた、「あなたがたまでが、だまされているのではないか。役人たちやパリサイ人たちの中で、ひとりでも彼を信じた者があっただろうか。律法をわきまえないこの群衆は、のろわれている」。
彼らの中のひとりで、以前にイエスに会いにきたことのあるニコデモが、彼らに言った、「わたしたちの律法によれば、まずその人の言い分を聞き、その人のしたことを知った上でなければ、さばくことをしないのではないか」。
彼らは答えて言った、「あなたもガリラヤ出なのか。よく調べてみなさい、ガリラヤからは預言者が出るものではないことが、わかるだろう」。〔そして、人々はおのおの家に帰って行った。
この人の語るように語った者は、これまでにありませんでした
祭司長やパリサイ人たちは下役どもがイエスを捕えて連れて来ることを期待していたようでした。しかし、下役どもは実際にイエスの語るのを聞いて、その良心に感じるところがあったのでしょう。
ニコデモ
ニコデモは律法に基いて、正しく取り扱うことは正しいことではないかと言いました。何が神の前に正しいことであるのか。自らが国家の権威や権力の中央にいる者であっても、それを曲げることは不正以外の何ものでもありません。世渡り上手になることでも、権力を利用することでもなく、神の前に正しく生きることが求められているのです。
いかがでしたか
参考になりましたら「いいね!」でお知らせください。また、シェアのご協力もよろしくお願いします。今日も最後までお読みくださり、ありがとうございました。
新刊「日本人の幸せ」(電子版100円)をお買い求めください!
Amazonから「日本人の幸せ—古代ユダヤ人がもたらしたイエスの教え」(196ページ)が販売されました。一人でも多くの方に読んでいただけるように、電子版の価格を100円といたしました。(文庫版も好評発売中。詳しくはAmazonのサイトでご確認ください。)これを記念して既刊の「日本人の信仰が世界を救う—元キリスト教牧師が語る神の国ニッポン」も電子版の価格を100円にしました。ぜひお読みください。レビューのご協力もよろしくお願いします。
目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
詳しくは書籍情報をご覧ください。