【日本とイスラエル】ブッダとモーセの宗教

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する内容について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

インドの宗教の突然変化

現代のアルファベットの発展史研究の権威、ダヴィッド・ディリンガー氏は、アルファベットの発展に関する著書の中で、インド文字について書いている。その中で氏は、インドの宗教と文化に突然の変化を生み出したある宗教的影響について書いている。

紀元前6世紀、驚くべき宗教革新がインド北部で起きた。その影響はインドの歴史を変えてしまうほどのものであった。それは、様々な意味で、ヴェーダ教の祭司たちによって独占的に行われていた粗悪な宗教儀式、血の燔祭などに対する、民衆の反応であった。二人のインド人、禅の開祖であるボーディダルマと仏教の開祖であるゴータマとが、この宗教改革をもたらした人々であった。

彼らは二人とも紀元前6世紀ごろに生き、また十部族がいた地域に長く住んだ。

その起源

歴史上、ある民族や種族にこのような大きな宗教的、倫理的革命が起きる時は、必ずその起源があるはずである。・・・この思想的革命を行うことが可能だったのは、当時まだインド亜大陸では知られていなかった、強固な唯一神の世界観を持って遠くからやって来た十部族のみであったろう。

十部族の影響

彼らは紀元前7世紀初頭にこの地に到着してから約150年この地に滞在したが、その間、彼らの持つ文化程度の高さ、道徳的価値観と宗教の根本思想とは、この地域の人々を驚かせたであろう。この豊かな土壌の中で生きたブッダはモーセの宗教に心を開き、その新しい思想を取り入れながら自分の世界観を変化させていったのである。

ブッダの教え

ブッダの死後、彼の教えに従って作られた十戒は以下の通りである。

一、殺してはならなない
二、盗んではならない
三、嘘をついてはならない
四、金銀を受け取ってはならない
五、性的放蕩に溺れてはならない
六、酒に溺れてはならない
七、決まった時間以外に食事をしない
八、香料を塗ったり、髪飾りをしたりしない
九、踊りすぎたり歌を歌いすぎたりしない
十、高い寝台、広い寝台で寝ない

ブッダの十戒のうち五つはモーセの十戒そのままである。それ以外の戒めのうちすくなくともあと三つは、その精神、特徴、基本原理がモーセの十戒と一致している。またブッダは世界を導く至高の神的力の存在を否定していない。

スートラ

ブッダの弟子たちは彼の教えを羊皮紙に書き留めていったが、その一つ一つの教えは「スートラ(経典)」と呼ばれる。スートラとはインド語で糸を意味する。・・・私はアラム語の「側」を意味する「スィトゥラ」がその語源ではないかと考える。つまり、羊皮紙の文字が書かれる側を意味する。この解釈は、スートラには「聖典」という意味があるとする仏教の賢者たちの考えともうまく合致する。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

著者はユダヤ人なので、我田引水的なところがないとは言えないかもしれませんが、ブッダの教えとイスラエルの宗教には共通点があることは客観的な事実なのだと思います。それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史、文化、信仰のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 15章1~11節

わたしはまことのぶどうの木、わたしの父は農夫である。わたしにつながっている枝で実を結ばないものは、父がすべてこれをとりのぞき、実を結ぶものは、もっと豊かに実らせるために、手入れしてこれをきれいになさるのである。あなたがたは、わたしが語った言葉によって既にきよくされている。

わたしにつながっていなさい。そうすれば、わたしはあなたがたとつながっていよう。枝がぶどうの木につながっていなければ、自分だけでは実を結ぶことができないように、あなたがたもわたしにつながっていなければ実を結ぶことができない。

わたしはぶどうの木、あなたがたはその枝である。もし人がわたしにつながっており、またわたしがその人とつながっておれば、その人は実を豊かに結ぶようになる。わたしから離れては、あなたがたは何一つできないからである。人がわたしにつながっていないならば、枝のように外に投げすてられて枯れる。人々はそれをかき集め、火に投げ入れて、焼いてしまうのである。

あなたがたがわたしにつながっており、わたしの言葉があなたがたにとどまっているならば、なんでも望むものを求めるがよい。そうすれば、与えられるであろう。

あなたがたが実を豊かに結び、そしてわたしの弟子となるならば、それによって、わたしの父は栄光をお受けになるであろう。父がわたしを愛されたように、わたしもあなたがたを愛したのである。わたしの愛のうちにいなさい。

もしわたしのいましめを守るならば、あなたがたはわたしの愛のうちにおるのである。それはわたしがわたしの父のいましめを守ったので、その愛のうちにおるのと同じである。わたしがこれらのことを話したのは、わたしの喜びがあなたがたのうちにも宿るため、また、あなたがたの喜びが満ちあふれるためである。

神とイエスと弟子たちの関係

神とイエスと弟子たちとの関係をイエスはぶどうの木にたとえて教えています。自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神の御心に従って生きる。それがイエスの教えでした。イエスにつながっているとは、この教えに従って生きるということでしょう。そういう人は豊かに実を結ぶ人生となるとイエスは教えたのでしょう。それはイエスにとって喜びであり、その喜びが弟子たちにも満ちあふれると教えられています。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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