古代イスラエルと日本に関連する事柄について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
生の肉
神道の「行ってはならない」掟の大切な一つは、動物の肉を生きたまま食べないということであるが、これもイスラエルの宗教と同様である。その意味するところは、動物がまだ生きている時に切り取られた部位は食べてはならないということである。
聖書の掟
また生きているあいだに皮を剥がれた動物も同様である。この厳しい禁止事項は、ノアの子孫とイスラエルの民に与えられた七つの律法、「ただし、肉は命である血を含んだまま食べてはならない」と同じである。
地境移動の禁止
神道では「水田の境を示す棒を動かすことは禁止する」という表現で、地境の移動が厳しく禁止されている。モーセの宗教でも、同様の厳しさで境界線を動かすことは禁じられている。
聖書の記述
旧約聖書の申命記には「あなたの神、主があなたに与えて得させられる土地で、すなわちあなたが受け継ぐ嗣業の土地で、最初の人々が定めたあなたの隣人との地境を動かしてはならない」、「隣人との地境を動かす者は呪われる」という律法がある。
大祭司
天皇は神道の大祭司であり、日本人の多くはこの宗教の信者である。
修道僧と修道院
これは神道にはない。モーセの宗教でも修道生活は薦めてはいない。さらにモーセの宗教では修道者(ナジル人)は、誓約の期間が終了した時には、燔祭を捧げなければならないが、ラッシーは、「それは、この世の楽しみを全て断っていたことに対する燔祭である」と解説している。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 13章1~11節
過越の祭の前に、イエスは、この世を去って父のみもとに行くべき自分の時がきたことを知り、世にいる自分の者たちを愛して、彼らを最後まで愛し通された。
夕食のとき、悪魔はすでにシモンの子イスカリオテのユダの心に、イエスを裏切ろうとする思いを入れていたが、イエスは、父がすべてのものを自分の手にお与えになったこと、また、自分は神から出てきて、神にかえろうとしていることを思い、夕食の席から立ち上がって、上着を脱ぎ、手ぬぐいをとって腰に巻き、それから水をたらいに入れて、弟子たちの足を洗い、腰に巻いた手ぬぐいでふき始められた。
こうして、シモン・ペテロの番になった。すると彼はイエスに、「主よ、あなたがわたしの足をお洗いになるのですか」と言った。イエスは彼に答えて言われた、「わたしのしていることは今あなたにはわからないが、あとでわかるようになるだろう」。
ペテロはイエスに言った、「わたしの足を決して洗わないで下さい」。イエスは彼に答えられた、「もしわたしがあなたの足を洗わないなら、あなたはわたしとなんの係わりもなくなる」。
シモン・ペテロはイエスに言った、「主よ、では、足だけではなく、どうぞ、手も頭も」。イエスは彼に言われた、「すでにからだを洗った者は、足のほかは洗う必要がない。全身がきれいなのだから。あなたがたはきれいなのだ。しかし、みんながそうなのではない」。
イエスは自分を裏切る者を知っておられた。それで、「みんながきれいなのではない」と言われたのである。
弟子たちの足を洗う
十字架の死の時が来たことを悟ったイエスは、弟子たちの足を洗ったことが記されています。それは本来、奴隷がする仕事だったのだと思います。ペテロが恐縮するのも無理はないと思います。それは「愛」だと記されています。その中には、イエスを裏切るイスカリオテのユダも含まれていました。イエスはそのことを知りながら、ユダの足も洗いました。それは「愛」だと記されています。
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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