【日本とイスラエル】源氏の呪い

書籍「失われた十部族の足跡」

日本とイスラエルに関連する内容について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

名前に込められた祈り

「源(ミナモト)」という名前はヘブライ語で「マナア・モトー」、つまり「彼の死を阻止する」という意味に解釈できるが、この名前にはこの高貴な一族にかけられた死の呪いを解いて欲しいという祈りが示唆されているのではないか。しかし、その祈りも空しく、戦に勝利した後も、死の呪いはこの一族を離れることはなかった。

義経

軍の指揮官としての名声を手に入れた源頼朝の弟、義経は政権を狙っているとの嫌疑をかけられ、彼に忠実な武士たちと共に四年間追っ手から逃れ続けた。しかし、遂に発見され、これ以上逃れることができないと悟った義経は妻と娘を殺し、自分も自殺した。

後鳥羽天皇

日本人にとって天皇家の神聖さは決して犯すことのできないものであった。頼朝は日本の支配者として政権を取ったあとも、自身が天皇の位に就くことは決してなく、海に沈んだ安徳天皇の四歳の弟を推挙して、天皇の位に就かせた。この天皇は後鳥羽天皇と呼ばれるが、「ゴ・トバ」という音はアラム語・ヘブライ語では「彼の中には良きものがある」という意味になる。

鎌倉

はっきりした理由はわからないが、頼朝は政治の中心地を皇居のある平安京から、今日の東京のそばにある鎌倉という新しい町に移した。1192年、十三歳の後鳥羽天皇は頼朝に最高の軍司令官を意味する「征夷大将軍」の称号を与えた。

頼家と実朝

1199年、落馬によって頼朝は命を落とし、十七歳の息子、頼家が将軍の地位に就くが、権力を握っていた彼の母、北条政子は頼家を失脚させ、九歳の弟、実朝にその位を継がせた。

承久の乱

源氏の専横をこれ以上許しておけないと感じた後鳥羽上皇は討幕の挙兵を行う。当時、幕府の実権を握っていた源頼朝の未亡人、北条政子は素早く反撃に出た。京都に攻め上った幕府軍は上皇側に付いた武将たちを殺害、上皇らは島流しにされ、その荘園も没収された。この事件は以降百年以上に渡って、鎌倉幕府の権力を脅かそうと試みる者たちに良い教訓となった。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の国民性、文化、歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 17章14~19節

わたしは彼らに御言(みことば)を与えましたが、世は彼らを憎みました。わたしが世のものでないように、彼らも世のものではないからです。わたしがお願いするのは、彼らを世から取り去ることではなく、彼らを悪しき者から守って下さることであります。

わたしが世のものでないように、彼らも世のものではありません。真理によって彼らを聖別して下さい。あなたの御言は真理であります。あなたがわたしを世につかわされたように、わたしも彼らを世につかわしました。また彼らが真理によって聖別されるように、彼らのためわたし自身を聖別いたします。

彼らを守ってください

これは十字架を目前に控え、弟子たちのために祈ったイエスの祈りの言葉の続きです。この世とは、人間中心の世界のことでしょう。私たちは神に造られたものですから、人間中心をやめて、神に立ち帰って、神を中心にして生きることが本来の生き方です。それこそが真理に基いた生き方であり、イエスはそのように弟子たちを守ってくださるようにと神に祈ったのだと思います。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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