日本とイスラエルに関連する内容について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。
古来日本の原点への回帰
この時代、仏教の腐敗は進み、寺院のために税を徴収する人々が強盗に姿を変えることさえあった。こうして人々には古来日本の原点に回帰する気持ちが強くなってゆき、民族愛への芽生えが始まった。
秘密裡に伝えられてきた、ある「カード」
おそらく十部族の古い祭司の家系をその起源とする藤原氏は、十一世紀になって、民族再生の最後の希望が芽生えてきたのを見て、それまで同族内だけで秘密裡に伝えられてきた、ある「カード」を切ることを決断した。それこそが突然日本の歴史に現れ、「カタカナ」「ひらがな」と呼ばれた古代ヘブライ語アルファベット文字である。
「カタカナ」「ひらがな」
「カタカナ」は数本の途切れた(ヘブライ語で「カタア」)直線で書かれる文字で、ヘブライ語の活字体方形文字に似ている。「ひらがな」はヘブライ語の「ラッシー文字」に似た、曲線で書かれる文字である。
「アッシリア文字」「ラアツ文字」
古代ヘブライ語の方形文字は「アッシリア文字」と呼ばれ、モーセ五書はこの文字で与えられたのだが、この文字では聖なる文書しか書かれなかった。一方、曲線で書く筆記体のヘブライ文字は「ラアツ文字」または「ダアツ文字」と呼ばれ、日常的、俗的な目的に使用された。興味深いことに、日本でも同様の習慣があった。直線で書かれるカタカナは漢字で書かれた単語の解説や外来語を書き表すために使用されたが、曲線で書かれるひらがなは手紙や詩歌、日記など、より日常的な目的に使用された。(本からの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。
新約聖書 ヨハネによる福音書 16章25~28節
わたしはこれらのことを比喩で話したが、もはや比喩では話さないで、あからさまに、父のことをあなたがたに話してきかせる時が来るであろう。その日には、あなたがたは、わたしの名によって求めるであろう。
わたしは、あなたがたのために父に願ってあげようとは言うまい。父ご自身があなたがたを愛しておいでになるからである。それは、あなたがたがわたしを愛したため、また、わたしが神のみもとからきたことを信じたためである。
わたしは父から出てこの世にきたが、またこの世を去って、父のみもとに行くのである」。
わたしは神のみもとからきた
「わたしは神のみことからきた」とイエスは言ったと記されています。イエスは父なる神から来て、そして父なる神のみもとに行く。それはどういうことなのでしょうか。イエスは弟子たちに神を示したということなのでしょうか。イエスの教えを受け入れ、神に立ち帰って生きるなら、神を知ることになるとイエスは教えているのではないでしょうか。
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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