【日本とイスラエル】フビライ・ハーン

日本とイスラエルに関連する内容について、アビグドール・シャハン著「古代日本に辿り着いたユダヤ人・失われた十部族の足跡~イスラエルの地から日本まで」からご紹介いたします。

モンゴルからの要請

1268年、チンギス・ハーンの孫フビライ・ハーンは日本の天皇に使者を遣わした。使者に持たせた書簡には日本がモンゴル帝国の保護下に入り、巨大なモンゴル帝国に参加するようにとの要請が書かれていた

要求を黙殺

天孫民族であると自覚する日本人にとって、日本の国土は神聖なものであり、それまで一度たりとも他民族に踏みにじられたことはなかった。自ら望んで隷従と敗北の恥辱を受け入れるわけにはいかない。当時の執権北条時宗は十七歳であったが、この要求を無視して黙殺したことは驚くに値しない。

武力侵攻を決断

それから三年後の1271年、他の一連の征服戦争を終えたフビライ・ハーンは再び使者を日本に送り、これが最終通告であると脅迫した。しかし朝廷や幕府はやはり黙殺を決定、使者を辱めて送り返した。ここでフビライ・ハーンは日本に対する武力侵攻を決断する。

モンゴル軍の敗退

日本を侵略、占領するため、フビライ・ハーンは三年間かけて準備をした。モンゴル人、中国人、朝鮮人からなる二万五千人の兵士が用意された。・・・モンゴル軍を怒りに燃えて迎え撃ったのは、弓と刀で武装し、個人的な能力と勇気を頼みとする侍たちであった。モンゴル軍が少数の侍集団に立ち向かうことができたのは、僅か二日間だけであった。・・・モンゴル軍の武器の残骸は、今日に至るまで日本に数多く残されている。

神風

フビライ・ハーンは日本を併合したいという考えを変えることはなかった。・・・1281年8月初頭、フビライ・ハーンは、おそらくそれまで人類が経験したことのないほどの大艦隊を編成した。・・・8月半ば、モンゴル人らの予想に反して、・・・天の扉は開かれ、怒りの大嵐がこの地域を襲った。モンゴル軍の船団は大波と嵐に翻弄され、互にぶつかったり、また海岸の岩に打ち付けられたりした。・・・日本人はこの嵐を奇跡だと考え、「神風」と呼んだ。「カゼ」はヘブライ語で「強い」という意味があるので、「強い神」という意味になる。この風こそ、モンゴル人たちを打ち負かした力であった。(本からの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の歴史、文化、伝統、国民性、宗教のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くとき、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 ヨハネによる福音書 18章15~27節

シモン・ペテロともうひとりの弟子とが、イエスについて行った。この弟子は大祭司の知り合いであったので、イエスと一緒に大祭司の中庭にはいった。しかし、ペテロは外で戸口に立っていた。

すると大祭司の知り合いであるその弟子が、外に出て行って門番の女に話し、ペテロを内に入れてやった。すると、この門番の女がペテロに言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではありませんか」。

ペテロは「いや、そうではない」と答えた。僕や下役どもは、寒い時であったので、炭火をおこし、そこで立ってあたっていた。ペテロもまた彼らに交じり、立ってあたっていた。

大祭司はイエスに、弟子たちのことやイエスの教えのことを尋ねた。イエスは答えられた、「わたしはこの世に対して公然と語ってきた。すべてのユダヤ人が集まる会堂や宮で、いつも教えていた。何事も隠れて語ったことはない。なぜ、わたしに尋ねるのか。わたしが彼らに語ったことは、それを聞いた人々に尋ねるがよい。わたしの言ったことは、彼らが知っているのだから」。

イエスがこう言われると、そこに立っていた下役のひとりが、「大祭司にむかって、そのような答をするのか」と言って、平手でイエスを打った。

イエスは答えられた、「もしわたしが何か悪いことを言ったのなら、その悪い理由を言いなさい。しかし、正しいことを言ったのなら、なぜわたしを打つのか」。

それからアンナスは、イエスを縛ったまま大祭司カヤパのところへ送った。シモン・ペテロは、立って火にあたっていた。すると人々が彼に言った、「あなたも、あの人の弟子のひとりではないか」。

彼はそれをうち消して、「いや、そうではない」と言った。大祭司の僕のひとりで、ペテロに耳を切りおとされた人の親族の者が言った、「あなたが園であの人と一緒にいるのを、わたしは見たではないか」。ペテロはまたそれを打ち消した。するとすぐに、鶏が鳴いた。

大祭司の中庭

イエスは捕えられ、大祭司の中庭に連れて行かれました。ペテロともう一人の弟子もその後について、大祭司の中庭に入りました。ここでは大祭司の前でも、堂々としたイエスの姿が描かれているように思います。すべては神の計画が成ると、神をその心の中心に受け入れる者の姿がそこにはあるのではないでしょうか。それが神を中心とした生き方だと思います。それとは対照的に恐れるペテロの姿が描かれています。神を中心にするというイエスの教えを何度も聞き、それはどういうことなのかも分かって来ていたように思われましたが、まだ分かっていなかったということかもしれません。人間中心を退けて、神を中心にして生きるということを本当に理解するのは人の知恵でなく、神の力を受け入れる必要があるのではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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