【日本人と日本文化】日本の基軸を取り戻せ

日本人の誇り表紙

藤原正彦著「日本人の誇り」から一部を抜粋してご紹介させていただきます。ぜひ本書を手に取って、全文を読んでみてください。

日本スタンダード

今こそ、日本人は祖国への誇りを取り戻し、祖国の育んできた輝かしい価値観を再認識する必要があります。基軸を取り戻すのです。・・・アメリカが、アメリカンスタンダードである貪欲資本主義をグローバルスタンダードと言い含めて押しつけようとしても、「日本人は金銭より徳とか人情を大事にする民族です」と言い抵抗することができたはずです。

和を旨とする国柄

規制なしの自由な競争こそが経済発展に不可欠と主張し強要してきても、こう切り返せたはずです。「日本人は聖徳太子以来、和を旨とする国柄です。実際、戦後の奇跡的経済復興も、官と民の和、民と民の和、経営者と従業員の和でなしとげました」

人類に活を入れる責任

これらをアメリカだけでなく、国連の場で表明し、欲望に翻弄され続ける人類に活をいれるべきだったのです。先述したように、迫力をもって欧米を叱責説教しようとしない日本の宿痾により、アメリカ式を無批判にとり入れたから、日本特有の雇用が壊され、フリーターは四百万人を超え、完全失業者は三百万人を上回ることとなったのです。

日本の弱体化

占領軍の作った憲法や教育基本法で、個人の尊厳や個性の尊重ばかりを謳ったから、家とか公を大事にした国柄が傷ついてしまいました。これはGHQが意図的にしたことでした。家や公との強い紐帯から生まれるそれ等への献身と忠誠心こそが、戦争における日本人の恐るべき強さの根底にある、と見抜いていたからです。占領の一大目的である日本の弱体化には、軍隊を解体するばかりでなく、そこから手をつけなければならなかったのです。そこで天皇を元首から象徴に変え、長子相続の廃止など「家」を破壊し、個人ばかりを強調したのです。

美風を失った日本

東京裁判のおまじないが解けない日本人は、公への献身は軍国主義につながる危険な思想、などと自らに言い聞かせ、個人主義ばかりをもてはやしました。個人主義の欧米が、日本など比較にもならないほどの争いに彩られた歴史を有することを顧みなかったのです。この結果、会社では能力主義という名のもとで全員がライバルとなり、不要となればリストラという名の大なたで解雇されるようになりました。弱者切り捨てです。家やコミュニティーとの紐帯を失った人々は寄る辺のない浮き草のようになってしまいました。困った時には家や近隣や仲間が助けの手をのべる、という美風を失ったのです。(本からの引用は以上です。)

個人主義とは自己中心に過ぎない

個人の尊厳は守られなければなりません。しかし、それが自己中心的な個人の権利の主張であるならば、争いばかりを引き起こすことになるでしょう。本来の日本は常に全体の中での個人が意識されていたと思います。著者の主張に我が意を得たりと嬉しくなります。これこそ聖書の価値観であり、イエスの教えに他なりません。決して個人主義は聖書の教えではありません。

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本の文化、伝統、風習、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 使徒行伝 5章33~42節

これを聞いた者たちは、激しい怒りのあまり、使徒たちを殺そうと思った。ところが、国民全体に尊敬されていた律法学者ガマリエルというパリサイ人が、議会で立って、使徒たちをしばらくのあいだ外に出すように要求してから、一同にむかって言った、「イスラエルの諸君、あの人たちをどう扱うか、よく気をつけるがよい。

先ごろ、チゥダが起って、自分を何か偉い者のように言いふらしたため、彼に従った男の数が、四百人ほどもあったが、結局、彼は殺されてしまい、従った者もみな四散して、全く跡方もなくなっている。そののち、人口調査の時に、ガリラヤ人ユダが民衆を率いて反乱を起したが、この人も滅び、従った者もみな散らされてしまった。

そこで、この際、諸君に申し上げる。あの人たちから手を引いて、そのなすままにしておきなさい。その企てや、しわざが、人間から出たものなら、自滅するだろう。しかし、もし神から出たものなら、あの人たちを滅ぼすことはできまい。まかり違えば、諸君は神を敵にまわすことになるかも知れない」。

そこで彼らはその勧告にしたがい、使徒たちを呼び入れて、むち打ったのち、今後イエスの名によって語ることは相成らぬと言いわたして、ゆるしてやった。使徒たちは、御名のために恥を加えられるに足る者とされたことを喜びながら、議会から出てきた。そして、毎日、宮や家で、イエスがキリストであることを、引きつづき教えたり宣べ伝えたりした。

律法学者ガマリエル

さすが国民全体に尊敬されていた学者だけあり、彼は使徒たちを一方的に決めつけませんでした。それは神から出たものなのか、それとも人から出たものなのか。彼は決めつけませんでした。それは大切な心掛けではないでしょうか。自分は神を中心にしているつもりでも、自分を中心にしているという間違いは起こり得ることだと思います。本当にそれは神から出たものであり、自己中心、人間中心を退け、神を中心にしているのか。絶対大丈夫と言える人は誰もいないのではないでしょうか。常に自分は間違う危険性のある者だという自覚をしつつ、神の御心を求める姿勢が求められているのではないでしょうか。

むち打たれても喜ぶ使徒たち

それは人間中心からは決して出て来ません。ふつうなら、なんでこんな目に遭わなければならないのかということでしょう。ポイントは「御名のために恥を加えられるに足る者とされた 」ということでしょう。使徒たちはむち打たれたことを、神からの評価と受け止めたのでしょう。いつも神に思いを向けることが大切だと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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