【日本近現代史】東亜百年戦争(その2)

昨日に続いて、「高校生のためのおもしろ歴史教室」「東亜百年戦争」から林房雄著「大東亜戦争肯定論」の文章をご紹介いたします。

開国

幕末におけるABDFラインが日本に加えた圧力はたしかに強力なものであった。が、日本は「敗北」したが「屈服」しなかった。不平等条約はおしつけられたが、いかなる土地の占領もゆるさなかった。東漸する「西力」はその意思に反して極東のはてに日本という「非占領地帯」をのこさざるを得なかった。もしこの時のABDFラインが日本を押しつぶしていたら、日清戦争も日露戦争もなく、「西洋列強」はそれから約一世紀後の「太平洋戦争」の直前に、再びABCDラインなるものを結成して日本を包囲し、脅迫し挑発する必要はなかったであろう。

外からつけられた大火

火事を未然に防ぎえた者は賢者である。燃えはじめた火事を身を挺して消し得た者は勇者である。だが、この百年間の日本人には、その賢者も勇者も生まれ得なかった。なぜなら、「東亜百年戦争」は外からつけられた大火であり、欧米諸国の周到な計画のものと、多少の間隔をおきつつ、適当な機会を狙って、次から次へと放火された火災であった。日本人は火災予防の余裕をあたえられず、不断に燃えあがる火災の中で、火炎そのものと戦わねばならなかった。時には神話の勇者のように、剣をふるって自らのまわりの燃え盛る枯草を切り払わなければならなかった。風が変って火災が隣村の方向に燃え移ることを願ったこともあった。逆風を利用して自ら火を放ったこともあった。そのために、彼自身、悪質なる放火者とまちがえられ、非難もされた。

全身に大火傷を受けた日本

私は放火と戦った勇者を非難しない。多くの日本人が焼死した。鎮火の後に生きながらえた勇者もほとんどすべて全身に大火傷をうけた。(サイトからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書の信仰は古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本人の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開く時、そこに古くて新しい発見があることでしょう。

新約聖書 使徒行伝 10章24~33節

その次の日に、一行はカイザリヤに着いた。コルネリオは親族や親しい友人たちを呼び集めて、待っていた。ペテロがいよいよ到着すると、コルネリオは出迎えて、彼の足もとにひれ伏して拝した。

するとペテロは、彼を引き起して言った、「お立ちなさい。わたしも同じ人間です」。それから共に話しながら、へやにはいって行くと、そこには、すでに大ぜいの人が集まっていた。

ペテロは彼らに言った、「あなたがたも知っているとおり、ユダヤ人が他国の人と交際したり、出入りしたりすることは、禁じられています。ところが、神は、どんな人間をも清くないとか、汚れているとか言ってはならないと、わたしにお示しになりました。お招きにあずかった時、少しもためらわずに参ったのは、そのためなのです。そこで伺いますが、どういうわけで、わたしを招いてくださったのですか」。

これに対してコルネリオが答えた、「四日前、ちょうどこの時刻に、わたしが自宅で午後三時の祈をしていますと、突然、輝いた衣を着た人が、前に立って申しました、『コルネリオよ、あなたの祈は聞きいれられ、あなたの施しは神のみ前に覚えられている。そこでヨッパに人を送ってペテロと呼ばれるシモンを招きなさい。その人は皮なめしシモンの海沿いの家に泊まっている』。それで、早速あなたをお呼びしたのです。ようこそおいで下さいました。今わたしたちは、主があなたにお告げになったことを残らず伺おうとして、みな神のみ前にまかり出ているのです」。

彼の足もとにひれ伏した

ローマの百卒長が漁師だったペテロの足もとにひれ伏して出迎えるということがあるのでしょうか。もしかしたら、この時、ペテロは宗教団体の偉大な指導者、または、少なくともコルネリオはそのように考えていたのかもしれません。

幻の意味

また、ペテロの言葉を見ると、ペテロはあの幻を、このような意味に理解したことが分かります。以前のペテロは、ユダヤ人は神の前に清い民で、他の民族は汚れた人々だと考えていたのでしょう。しかし、それは間違った考えであり、神はすべての民族を清めたということを理解したのだろうと思います。人間中心、自己中心を退け、神に立ち帰り、神を中心にして物事を考えることにより、そのことも分かったのだと思います。神を中心にするとは、自分の民族だけが清いとか、自分の考えだけが正しいとする自己正当化とは対極にあるものだと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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