今日は林房雄著「大東亜戦争肯定論」の第二章「薩英戦争と馬関戦争」から一部を抜粋してご紹介いたします。日本の歴史を正しく知ることは、これからの歩みを考える上で、大変重要なことだと思います。
生麦事件
「薩英戦争」の直接原因は、人も知るごとく、文久二年(1862年)8月21日、横浜に近い街道で突発した「生麦事件」である。島津久光の行列に行きあったイギリス商人が薩摩藩士によって殺傷された。・・・全くの突発事故であったが、その背景には欧米列国の「和親通商条約」(実は不平等条約)の押しつけに反発して燃えさかる攘夷熱があった。熱した空気の中では、マッチの一すりも火災のもととなる。
予想以上の抵抗
「薩英戦争」は奇妙な戦争であった。ある意味では滑稽でさえあった。・・・犯人の処刑も償金の取立てもできず、わずかに鹿児島市街の一部を焼いただけで、陸戦隊を上陸させることもできず、イギリス艦隊は予想しなかった大損害をうけて、横浜に逃げかえった。世界海戦史上類例のない恥辱的な海戦であったとさえ評せられている。・・・私は「薩摩の勝利」を主張するのではない。戦後、薩摩藩は償金もはらい謝罪もした。これはみずから敗戦を認めたことである。薩摩の「抵抗」がイギリスの予想をはるかに越えて強力であったという事実に、読者の注意を向けたいのである。
長州藩の善戦
同じことが「馬関戦争」についても言える。この戦争もイギリスの主導によって行われたものだが、「薩英戦争」よりはるかに規模が大きい。・・・当時としては、一王国を征服するに足る兵力であろう。長州は日本という東のはての小王国の中の一藩にすぎない。しかも、金門戦争(蛤御門の戦)に破れて兵力の大半を失っていた。対等の戦いどころか、一撃のもとに粉砕されるのが常識であろうが、ここでもまた「常識」が通用しなかった。A(米)B(英)D(蘭)F(仏)ラインの砲火を集中されて、長州は破れたが、詳細にしらべると、ただの「惨敗」ではかたづけられぬ諸点が発見される。
日本占領は不可能であった
・・・薩摩と長州の予想外の抵抗は、イギリス政府をして失費と犠牲の多い軍事行動をあきらめさせ「平和な強力外交」に転換させたほどに、十分に強力であったと結論することは、必ずしも冒険ではなかろう。たしかに二つの「雄藩」は敗北したが、その敗北は他の「東亜諸国」で起った敗北とは異質のものであった。幕末におけるABDFラインが日本に加えた圧力はたしかに強力なものであった。が、日本は「敗北」したが「屈服」しなかった。不平等条約はおしつけられたが、いかなる土地の占領もゆるさなかった。東漸する「西力」はその意志に反して極東のはてに日本という「非占領地帯」をのこさざるを得なかった。もしこの時のABDFラインが日本をおしつぶしていたら、日清戦争も日露戦争もなく、「西洋列強」はそれから約一世紀後の「太平洋戦争」の直前に、再びABCDラインなるものを結成して日本を包囲し、脅迫し挑発する必要はなかったであろう。(本からの抜粋引用は以上です。)
聖書を読みましょう
このような日本人の文化、伝統、習慣、国民性は古代日本に渡来したイスラエル系、ユダヤ系渡来人による聖書の信仰に遡ることができます。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開くことが大切です。今日も聖書の続きを読みましょう。
新約聖書 使徒行伝 17章16~21節
さて、パウロはアテネで彼らを待っている間に、市内に偶像がおびただしくあるのを見て、心に憤りを感じた。そこで彼は、会堂ではユダヤ人や信心深い人たちと論じ、広場では毎日そこで出会う人々を相手に論じた。
また、エピクロス派やソトア派の哲学者数人も、パウロと議論を戦わせていたが、その中のある者たちが言った、「このおしゃべりは、いったい、何を言おうとしているのか」。また、ほかの者たちは、「あれは、異国の神々を伝えようとしているらしい」と言った。パウロが、イエスと復活とを、宣べ伝えていたからであった。
そこで、彼らはパウロをアレオパゴスの評議所に連れて行って、「君の語っている新しい教がどんなものか、知らせてもらえまいか。君がなんだか珍しいことをわれわれに聞かせているので、それがなんの事なのか知りたいと思うのだ」と言った。いったい、アテネ人もそこに滞在している外国人もみな、何か耳新しいことを話したり聞いたりすることのみに、時を過ごしていたのである。
おびただしい偶像
ギリシヤのアテネにはギリシヤ神話に出てくる神々の像があちこちにあったのでしょう。ギリシヤの人々はそれらの像をあたかも神のように拝んでいたのかもしれません。そのような様子を見て、パウロは憤りを感じたとあります。もともと、日本人にとっても、ユダヤ人にとっても、神は目に見えない霊的な存在であり、決して何かの像ではありませんが、他の国の文化では、このような像を神のように拝むことがよく行われているのでしょう。
新しい教えなのか
パウロがイエスと復活について語っていたので、アテネの人々は「異国の神々の話」、「新しい教え」と感じたようです。しかし、本来、イエスが教えたのは、何か外国の神々や新しい教えではなく、神に立ち帰って生きるという人間本来の生き方のことでした。特に私たち日本人にとっては、本来の日本人の生き方に他なりません。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰り、神を中心にして生きること。そこに全人類の幸いな生き方があります。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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