2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。詳しくは10月18日(金)タピ大でも講演させていただきますが、ブログでも少しレポートさせていただきます。 今日はイザイホウについてです。
古代日本の宗教の原型なのか
沖縄本島の南東に位置する久高島は神の島とも呼ばれ、久高島に伝わる宗教儀礼こそが古代日本の宗教の原型ではないかということが言われるそうです。確かにそのような神秘性を持った宗教儀礼が多々あり、沖縄は仏教や大和朝廷の影響を強く受けなかった分だけ、古代祭儀が現代まで伝えられている可能性は高いと言えます。しかし、本当にそうなのでしょうか。この点についても、赤嶺政信著「歴史のなかの久高島~家・門中と祭祀世界」を読んで、解決しました。今日はそのことをお伝えいたします。
琉球王朝の影響
確かに沖縄の風習は仏教や大和朝廷の影響は強く受けなかったのかもしれません。しかし、古代日本の風習を今にまで伝えているのかというと、伝えている部分もあると思いますが、やはり琉球王朝の影響は無視できないと言えそうです。特に久高島の祭儀には琉球王朝の影響が色濃くあったことが赤嶺氏の研究からはっきりとしました。以下、氏の著書からご紹介いたします。
離島を巡り祭祀をみながら次第に、現存する祭祀慣行自体が抱えているはずの歴史性と変化が気になりだした。すなわち、年中祭祀における不易流行を考えるために、王府の祭祀統制の歴史を学ぶ必要を痛感するようになった。沖縄各地で現在行われている年中祭祀は、住民達の意志はそれとしても、純粋無垢の自発的な地方文化の発現ではなく、五世紀にわたり存続してきた琉球王国統治下の祭祀慣行が変貌した果ての残存形態であることを忘れる訳には行かないからである。(p.39)
以上述べてきたことから、久高島は、古琉球期から十七世紀後半にかけて国王や聞得大君らが渡島し、島での国家祭祀を直接司祭したという琉球王国においては他に類例のない特異な位置を占める島であったことがわかる。(p.83)
さて、これまで考察を重ねてきた結果から判明する「神女就任儀礼としてのイザイホウ」の本質とは、王国時代の久高島の女性たちが聞得大君に仕える役目に就くにあたり、国王が神女としての認証を与える辞令交付式の性格を帯びた国家的な祭祀であったということである。首里を志向する神々、観客を意識した見世物的要素、朱付け儀礼において根人が担っている役割などといったイザイホウにまつわるいくつかの不可解な問題は、イザイホウをそのように把握することによってはじめて理解することができる、というのが本章の結論である。(p.313)
久高島独特の祭祀であるイザイホウは、聞得大君に仕える久高島の女性たちに対する国王による辞令交付式という性格を帯びており、従来の研究でなされてきたように、ローカルな要素のみで理解すべきではない。(p.405)
イザイホウと古代イスラエルとの関係
以上、赤嶺氏の著書によれば、イザイホウと古代イスラエルの風習とは直接の関係はないと考えてよいということでしょう。もちろん、まったくないということでもないかもしれませんが、イザイホウは古代イスラエルの影響より琉球王朝の影響の方がはるかに大きいと結論づけることができると思います。これで安心して、これら以外の沖縄の風習と古代イスラエルとの関連を見ていくことができるようになりました。次回はそのことに触れたいと思います。
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、宗教儀礼、国民性に深く影響を与えています。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開き、神に思いを向けることが大切だと思います。
新約聖書 使徒行伝 21章29~36節
彼らは、前にエペソ人トロピモが、パウロと一緒に町を歩いていたのを見かけて、その人をパウロが宮の内に連れ込んだのだと思ったのである。
そこで、市全体が騒ぎ出し、民衆が駆け集まってきて、パウロを捕え、宮の外に引きずり出した。そして、すぐそのあとに宮の門が閉ざされた。
彼らがパウロを殺そうとしていた時に、エルサレム全体が混乱状態に陥っているとの情報が、守備隊の千卒長にとどいた。そこで、彼はさっそく、兵卒や百卒長を率いて、その場に駆けつけた。
人々は千卒長や兵卒たちを見て、パウロを打ちたたくのをやめた。千卒長は近寄ってきてパウロを捕え、彼を二重の鎖で縛っておくように命じた上、パウロは何者か、また何をしたのか、と尋ねた。
しかし、群衆がそれぞれ違ったことを叫びつづけるため、騒がしくて、確かなことがわからないので、彼はパウロを兵営に連れて行くように命じた。
パウロが階段にさしかかった時には、群衆の暴行を避けるため、兵卒たちにかつがれて行くという始末であった。大ぜいの民衆が「あれをやっつけてしまえ」と叫びながら、ついてきたからである。
あれをやっつけてしまえ
なぜパウロはここまでユダヤ人たちに憎まれたのでしょうか。それはイエス・キリストの教えを受けいれ、自己中心、人間中心を退け、神に立ち帰り、神の前に正しく生きるようになった異邦人の指導者として、異邦人はユダヤ人の風習を守る必要はないとパウロが教えていたことに起因しています。もちろん、ユダヤ人の習慣はユダヤ人とっては大切なことであり、パウロも大切にしていました。しかし、異邦人にとってはそうではありませんでした。大切なことは特定の文化や習慣、宗教儀礼に従うことではなく、神の御心に生きることです。しかし、それはなかなか正しく理解されないのでしょうか。しかも誤解で終らず、憎しみと分裂と紛争に発展してしまうものなのでしょうか。何が神の前に正しいことであるのかを見極めなければなりません。大切なことは特定の宗教や文化ではなく、神の御心にしたがって生活することです。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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