林房雄著「大東亜戦争肯定論」は戦争肯定論ではありません。戦争という事実を受け入れるということです。これからどう生きるのかを正しく判断するためには、間違った歴史認識を正す必要があります。印象に残った箇所を抜粋して紹介します。
「太平洋戦争」と「大東亜戦争」
アメリカがこれを「太平洋戦争」と呼び、日本がこれを「大東亜戦争」と呼んだのは、ただの思いつきではなく、それぞれの歴史的理由があった。アメリカの「理想」は「白い太平洋」の実現であり、日本の「理想」は「大東亜共栄圏」の建設であった。アメリカ人が「太平洋戦争」と呼ぶのは結構だが、日本人は堂々と「大東亜戦争」と呼んだほうがよろしい。
「白い太平洋」も実現しなかった
日本は敗戦し、その「理想」は霧散した。だが、アメリカの「理想」は実現したであろうか。・・・マッカーサー元帥の戦功も、ついに太平洋を白くすることができなかった。
戦後の世界
崩壊した大清帝国は新中共帝国として更生して、フィリピンとマレーシアとインドネシアはそれぞれ独立の道を歩き、朝鮮半島と南北ベトナムは、アメリカ兵士にとって人食い沼と変り、ニュージーランドもすでに植民地ではなく、米大陸の下半身である中南米諸国は、キューバを先頭として、アメリカの意のままには動かなくなった。台湾と沖縄は目下のところアメリカの軍事基地であるが、日本そのものは、四つの島にとじこもりながら、早くも「奇蹟的」に復活して、その進路を自分で決定しようと努力しはじめている。さらに北方では、太平洋の波はその実力においてアメリカをしのがんとするソ連邦の岸を洗っている。
無謀の戦争
太平洋はアメリカのものでも、日本のものでもなくなった。太平洋を舞台とする日米戦争は、日本にとってもアメリカにとっても、その結果から見て、共に「無謀の戦争」であり「実りなき戦争」であった。(本からの抜粋引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は日本人の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人として聖書を開き、これからの日本について、世界について、また自らの歩みについて考えることが重要ではないでしょうか。
新約聖書 使徒行伝 20章13~16節
さて、わたしたちは先に舟に乗り込み、アソスへ向かって出帆した。そこからパウロを舟に乗せて行くことにしていた。彼だけは陸路をとることに決めていたからである。
パウロがアソスで、わたしたちと落ち合った時、わたしたちは彼を舟に乗せてミテレネに行った。そこから出帆して、翌日キヨスの沖合にいたり、次の日にサモスに寄り、その翌日ミレトに着いた。
それは、パウロがアジヤで時間をとられないため、エペソには寄らないで続航することに決めていたからである。彼は、できればペンテコステの日には、エルサレムに着いていたかったので、旅を急いだわけである。
ペンテコステの日にはエルサレムに着いていたかった
パウロがエルサレム行きを急いでいたのは、ペンテコステの日にはエルサレムに着いていたかったからだと記されています。ペンテコステとは過越祭から50日目を祝うユダヤの祭りです。ここでもパウロはユダヤ教の祭りを重視したのでしょう。パウロ自身ユダヤ人であり、ユダヤ人の文化、習慣、価値観、国民性を大切にしていることが分かります。問題は、神の言葉をユダヤ教という宗教にして、実際には神を意識し、それぞれが神のみこころを求めて生きるという本質からずれてしまったことだと思います。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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