2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。詳しくは10月18日(金)タピ大でも講演させていただきますが、ブログでも少しレポートさせていただきます。 今日は死者に対する汚れの観念について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。
お清めの塩
沖縄では「死者に対する汚れの観念」がある(この観念は日本全国的に共通)。前述したが、葬式などに参加すると、参列者に「お清め塩」が配られ、参列者は、帰宅した玄関前で、清めのための塩祓い(しおばらい)をする。「お清め塩」を頭や肩に振りかけてもらわないと家には入れないのである。
汚れを清める
このような風習の背後には「死者に対する汚れの観念」があり、それは神道の観念である。そして、古神道とか、琉球神道とか言われる沖縄にも、古来から伝わっている観念なのである。
喪に服す
この汚れの観念は、家族に死人が出た時や、親族に死人が出た時には、一定期間「汚れている」とみなされている。不幸があった家族が、年賀状を控えたりするのも、この死者に対する汚れの観念から生じている。この期間には、神聖な場所(御嶽、拝所)に出入りすることはできないとされている。
ユダヤ人にも共通する観念
この死者に対する汚れの観念は、欧米人には理解できない。理解されないどころか「そんなのは迷信だ」笑われてしまう。ところがユダヤ人は、この観念にすぐに共感し、イスラエルでも同じであることを語るでしょう。この「汚れ」は物質的な汚れではなく、宗教的・儀式的な汚れである。
聖書の記述
「どのような人の死体であれ、それに触れた者は七日の間汚れる。」(民数記19:11)
汚れをはらう
古代イスラエルにおいても、葬式に参列した人や、死体に触れた人は、決められた方法で禊(みそ)ぎをしなければならなかった。その汚れをはらうまでは、神殿や幕屋(移動式の簡易神殿)に来てはいけないとされていた。
「すべて、死者の体に触れて身を清めない者は、主の幕屋を汚す。」(民数記19:13)
「身の清い人がヒソプを取ってその水に浸し……人骨、殺された者、死体あるいは墓に触れた者に振りかける。」(民数記19:18)
このようにイスラエルでも、「死者に対する汚れの観念」があり、人骨、殺された者、死体あるいは墓に触れた者は、禊ぎ(みそぎ)をして、身を清めなければならなかった。
古代日本に渡来したユダヤ人の痕跡
ユダヤ教のラビ(教師)、マーヴィン・トケイヤー氏も、日本神道の「汚れ」の観念が、非常にユダヤ教によく似ていると指摘している。そして、これほどの類似は、シルクロードの両端のイスラエルと日本だけに存在するものだと強調する。このような類似は「失われたイスラエルの10支族の本隊が、この日本まで来ていた」という根拠の一つにもなっている。さらに沖縄には、そのユダヤ的な文化や風習が、さらに根強く残っていると言われているのである。(ブログからの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄、日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の原点を知るために聖書を開いてみてください。
新約聖書 使徒行伝 23章31~35節
そこで歩兵たちは、命じられたとおりパウロを引き取って、夜の間にアンテパトリスまで連れて行き、翌日は、騎兵たちにパウロを護送させることにして、兵営に帰って行った。
騎兵たちは、カイザリヤに着くと、手紙を総督に手渡し、さらにパウロを彼に引きあわせた。総督は手紙を読んでから、パウロに、どの州の者かと尋ね、キリキヤの出だと知って、「訴え人たちがきた時に、おまえを調べることにする」と言った。そして、ヘロデの官邸に彼を守っておくように命じた。
カイザリヤに護送されたパウロ
ユダヤ教のおもだった人々はパウロを闇に葬ろうとしていました。それが神の御心だと彼らは主張するかもしれません。しかし、それは決して神の前に正しい行為とは言えません。もしパウロに不正があり、それを糾弾したいということであれば、人々の面前で、正々堂々と自らの主張を展開すべきではないでしょうか。初めに結論ありきで、自分たちの考えにそぐわないからと言って、手段を選ばず、人間的な力によって、それを排除しようとすることは、どんな理由をつけたとしても、神の御心ではありません。これが神の御心だと言って、自らの主張を正当化するところに宗教の問題があるように思います。それは単なる自らの主義主張に他なりません。
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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