2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日は宮古島のパーントゥについて、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。
パーントゥ・プナハ
宮古島の島尻の年中行事に「パーントゥ・プナハ」と呼ばれる祭事がある。パーントゥとは、お化け、鬼人、妖怪というような意味の言葉(方言)であり、「プナハ」とは、人々が寄り集まって行なう、神酒(みき)による酒宴の祈願祭のことである。それで「パーントゥ・プナハ」とは、パーントゥ神の祭りという意味である。このパーントゥ祭は、村の厄払いをし、無病息災を得させるために行なわれる。パーントゥ神は、人々にとって厄払いの神、健康や幸いをもたらしてくれる神となる。
3人のパーントゥ神
このパーントゥ神は、集落から3人の若者が選ばれ、全身泥だらけの異形の神に扮する。まずはキャーンというつる草で、体を覆い、産井(ンマリガー)と呼ばれる古井戸の底にたまっている泥を、パーントゥの全身に塗りつける。そして、最後に片手でパーントゥの仮面を持ち、それを顔の前に持ってくれば、パーントゥの完成である。三体のパーントゥが出現し、それぞれ
① 親(ウヤ)パーントゥ
② 子(ッファ)パーントゥ
③ 中(ナカ)パーントゥ
という。彼らは集落内に出向き、人、家、車に泥を塗りまくる。泥は無病息災をもたらすと言われている。
聖書の神との類似
この島尻のパーントゥも、聖書の三位一体の神と良く似ている。聖書の三位一体の神は
① 父なる神ヤハウェ
② 御子なるイエス・キリスト
③ 聖霊なる神
の三つであるが、それぞれ対応させてみると、
① 親(ウヤ)パーントゥ=父なる神ヤハウェ
② 子(ッファ)パーントゥ=御子なるイエス・キリスト
③ 中(ナカ)パーントゥ=聖霊なる神
となる。①の「親(ウヤ)パーントゥ=父なる神ヤハウェ」、②の「子(ッファ)パーントゥ=御子なるイエス・キリスト」は、見事に対応しているが、③の「中(ナカ)パーントゥ=聖霊なる神」が、どのように対応しているかは、説明が必要である。
聖霊なる神
イエス・キリストの誕生において、神の霊、つまり聖霊によって、処女マリヤが身ごもったエピソードは有名である。「聖霊によって」とあるように、その時、父なる神とイエス・キリストをつないだのが、聖霊なる神なのである。それで「中(ナカ)パーントゥ」は「聖霊なる神」と対応しているということができる。
「神は三神」という信仰
このパーントゥ・プナハの起源は、ずっと古い時代に、島尻の北東部のクバマという海岸に、クバ(びろう)の葉に包まれた仮面が流れ着いていたので、その仮面を使って、村の厄払いの行事に用いたのが、その始まりだと言い伝えられている。流れ着いた仮面が1個だったか、3個だったか、その確かなことは分かっていない。村の何人かの古老の話では、たぶん1個だったのではないかということである(「島尻のパーントゥ調査報告書」平良市教育委員会編)。もしそうなら、仮面が流れ着くよりも以前から、島尻には「神は三神」という信仰があったことになる。
「アダマー(土)の神」との一致
また、この泥から産まれた、全身泥まみれのパーントゥ神は、土で人間を形づくったという神を思い起こさせる。前述した沖縄の創造主、「アダマーの神」とも関係があるのかもしれない。
塩と酒
このパーントゥ・プナハでは、パーントゥが登場する前に、島尻にある4つの里(サトゥ)で、塩と酒を用いて、神前に供え物をし、儀礼を執行する。その時に、12枚の木の葉を皿がわりにして、その上に塩を盛って置き、さらに12枚の木の葉の皿に、神酒(みき)を注ぐのである(「島尻のパーントゥ調査報告書」平良市教育委員会)。
ここでも12
このように神前の供え物に塩と酒を添えて捧げる風習が、ユダヤ的であることは前述した(「供え物は塩と酒を添えて捧げる」を参照)が、ここで注目したいのは、12という数である。御願(ウガン)で線香を立てる時も、中神(ナカジン)の三本香の他に12本の線香を使って、「四隅拝み」をする。これは12方位の神々や12の神の使いのためと言われる。この12という数字が、イスラエルの12部族、キリストの12弟子など、非常にユダヤ的なのである。さらにイスラエルの12部族は、12方位ともつながりがある。古代イスラエルにおいて、荒野で宿営する時には、幕屋(移動式の簡易神殿)の周りに12部族が決められた順にテントを張った。それで各部族は、それぞれの方位をも示していたのである。
来訪神
さらに、このパーントゥ神は、来訪神と言われており、外から伝えられた神である。また沖縄の祭事において祀られる神の殆どが、来訪神とされており、ニライカナイ信仰(遠い海の彼方に、理想郷の神の国がある)も、そのような来訪神(外から伝来した神)を示している。(ブログからの引用は以上です。)
聖書を読みましょう
それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。
新約聖書 使徒行伝 26章9~11節
わたし自身も、以前には、ナザレ人イエスの名に逆らって反対の行動をすべきだと、思っていました。そしてわたしは、それをエルサレムで敢行し、祭司長たちから権限を与えられて、多くの聖徒たちを獄に閉じ込め、彼らが殺される時には、それに賛成の意を表しました。
それから、いたるところの会堂で、しばしば彼らを罰して、無理やりに神をけがす言葉を言わせようとし、彼らに対してひどく荒れ狂い、ついに外国の町々にまで、迫害の手をのばすに至りました。
反対の行動をすべきだと思っていました
かつてパウロはユダヤ教の指導者として、イエスの弟子たちを迫害していました。そうすべきだと、それが正しいことだと思っていたと言っています。罪悪感を持たずに、意見が違うという理由だけで、無実の人を投獄したり、殺すことに賛同したりすることができたということだと思います。これが宗教やイデオロギーの恐ろしさではないでしょうか。しかし、それは決して神の御心ではありません。 宗教やイデオロギーを取り除き、 良心で判断するなら、正しく判断できるのではないでしょうか。
いかがでしたか
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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる
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