【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(30)豚と悪霊

沖縄の豚小屋

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日は豚と悪霊について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。

豚と悪霊に関する風習

沖縄の田舎では、たいていどこでも豚と悪霊に関する風習が伝えられている。例えば、夜道を歩いて帰ったりした場合、途中で何か怖い思いをした時、或いは夜遅くに帰宅した時、必ず豚小屋に行って豚を起こし、それから家に入るという風習がある。これは夜道に途中からついてきた悪霊を豚に移すためである(「琉球エデンの園物語」与那城勇著)。私の父も幼い頃、年配の人から教えてもらい、怖い思いをしたら、豚を起こして悪霊を移していたそうである。豚にとっては迷惑な話しだが、沖縄の風習では、豚と悪霊が深くかかわっているのである。

聖書に出て来る豚と悪霊の話

このような悪霊と豚にかかわる風習と非常に良く似た話しが、聖書の中に出てくる。それは新約聖書にある「ガダラ人の悪霊解放」の出来事である。イエスと弟子たちが、ヨルダン川の向こう岸、ガダラ人の地方(異邦人の土地)に着いたとき、多くの悪霊にとりつかれた人がいた。イエスがその人から悪霊を追い出そうとすると、悪霊たちは、その人を出て、近くにいた豚の群れに入ることを願った。イエスがそれを許可すると、悪霊たちは豚の群れの中に入り込んだ。すると突然、豚の群れはみな崖を下って湖になだれ込み、水の中でおぼれ死んだのである(マタイ8:28-34)。

豚を崖から落とした

摩文仁(マブニ)方面では、悪疫が流行した時、豚を崖から海に追いつめて落とし、水におぼれさせて、その豚を殺し、厄払いする風習が近年まで伝えられていた(「琉球エデンの園物語」与那城勇著)。

汚れた動物という観念

これは沖縄の豚を不浄視する観念とも関係があると思われる。豚肉は、沖縄では非常に身近な食文化であるが、一方で豚は汚れた動物という観念がある。神の島とされている久高島では、正月の三日間は、村人が豚肉を食べるのは禁止とされている。また、昔のユタやノロは、一年中、豚を食べなかったという。その理由が、豚は「汚れた動物」であり、「罪人の食べ物」だからとされている。

ユダヤ人と同じ

これはユダヤ人の観念と同じである。ユダヤ人にとって、豚は汚れた動物であり、「罪人の食べ物」だと、聖書に記されている(レビ11:7-8)。それでユダヤ人は現在でも、豚肉を食べない。この豚を不浄視する観念は、中国には、今も昔もない。つまり、この観念は、中国から持ち込まれたものではなく、東南アジアからでもない。この風習は、非常に聖書的であり、イスラエルと全く同じものなのである。(ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 27章21~26節

みんなの者は、長いあいだ食事もしないでいたが、その時、パウロが彼らの中に立って言った、「皆さん、あなたがたが、わたしの忠告を聞きいれて、クレテから出なかったら、このような危害や損失を被らなくてすんだはずであった。

だが、この際、お勧めする。元気を出しなさい。舟が失われるだけで、あなたがたの中で生命を失うものは、ひとりもいないであろう。

昨夜、わたしが仕え、また拝んでいる神からの御使が、わたしのそばに立って言った、『パウロよ、恐れるな。あなたは必ずカイザルの前に立たなければならない。たしかに神は、あなたと同船の者を、ことごとくあなたに賜わっている』。

だから、皆さん、元気を出しなさい。万事はわたしに告げられたとおりに成って行くと、わたしは、神にかけて信じている。われわれは、どこかの島に打ちあげられるに相違ない」。

元気を出しなさい

人間的には助かる見込みはなくなり、人々は意気消沈していたのでしょう。人間中心の限界だと思います。しかし、神を中心にして生きるパウロはそうではなかったことが分かります。仮にここで死ぬことが神の御心であるなら、パウロはそれはそれで受け止めていたことと思います。しかし、神の計画はパウロがカイザルの前に立つことでした。パウロは見える状況ではなく、神に目を留めていることが分かります。これがイエスの教えた生き方であり、パウロが伝えていた生き方だと思います。

いかがでしたか

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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