【日本とイスラエル】沖縄本島・宮古島レポート(32)ニライカナイ信仰

ヤハラヅカサ

2019年7月27日(土)~8月2日(金)沖縄本島・宮古島へ古代イスラエルの痕跡を巡る旅に行ってきました。今日はニライカナイ信仰について、瑞慶山道弘氏のブログからご紹介させていただきます。

海の彼方にある理想郷

沖縄には、ニライカナイという言葉がある。このニライカナイとは、遠い海の彼方に、理想郷の神の国があるという信仰である。ニライカナイ信仰は、祖神アマミクに対する信仰とも言える。祖神アマミクが、沖縄上陸の第一歩をしるしたとされる「ヤハラヅカサ」が、玉城の百名海岸にある岩礁の石碑である。つまりアマミクは来訪神である。「ヤハラヅカサ」の前で、拝みをする人々の姿は、ニライカナイ(海の遥か彼方にある神の国、理想郷)信仰ということができる。

来訪神信仰

また沖縄の各地で行なわれる祭事や儀礼に登場する神は、殆どが来訪神である。沖縄の各地で見られるミルク神、宮古島島尻のパーントゥ、石垣島川平のマユンガナシー(家々を回って無病息災、五穀豊穣を祈願する)も来訪神である。また、ハーリー行事の祖形とも言われている大宜味村塩屋湾のウンガミ(ウンジャミともいう)も、来訪神信仰の儀礼である。さらに火の神(ヒヌカン)も、ニライカナイからもたらされたとされている。このように様々な神事において、ニライカナイ信仰を見ることができる。

「ニライカナイ」の語源

定説はないと言われているニライカナイの語源について、一説を提案したいと思う。「根屋(ニルヤ)」と「金屋(カナヤ)」の「屋」を、聖書の神の「ヤハウェ」の「ヤ」と置き換えてみることである。しばしば「ヤハウェ」は、短縮して「ヤ」「ヤー」「ヤハ」と使われる。

ニルヤ・カナヤ

また「カナ」を、ヤハウェがイスラエル民族に与えた約束の地、カナンのことだと解釈すると、ニライカナイは「ニルヤ・カナヤ」となり、その意味は、「ニルヤ=根元なるヤハウェ」、「カナヤ=カナンのヤハウェ」となる。「はるか遠い海の彼方の神の国、満ち足りた国、根元の国」というニライカナイ信仰にも、ぴったりとあてはまるのである。

聖書の記述

また聖書の記述にも、ニライカナイにつながったと思われる思想や表現がある。イスラエルの偉大なリーダーとなるモーセが、初めてヤハウェと出会い、その声を聞いたとき、ヤハウェはモーセに、以下のように自己紹介している。

神はモーセに、『わたしはある。わたしはあるという者だ』と言われ、また、『イスラエルの人々にこう言うがよい。「わたしはある」という方がわたしをあなたたちに遣わされたのだと。』」(出エジプト3:14)

この「わたしはある。わたしはあるという者だ」という言葉は、「わたしは、全ての存在の根源だ」という意味である。つまりヤハウェは、「根元なるヤハウェ=ニルヤ」なのである。

約束の地カナン

また、イスラエル民族が、エジプトを脱出した後に導かれて行く約束の地、カナンのことを、以下のように表現している。

それゆえ、わたし(ヤハウェ)は降って行き、エジプト人の手から彼ら(イスラエル民族)を救い出し、この国(エジプト)から、広々としたすばらしい土地、乳と蜜の流れる土地(へ)……彼らを導き上る。」(出エジプト3:8)

ここでの「乳と蜜の流れる土地」とは、「豊かに、繁栄した土地」という意味である。聖書の「約束の地、カナン」とは、ニライカナイ信仰と同じ様に「満ち足りた国」のことなのである。(ブログからの引用は以上です。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は沖縄および日本の文化、伝統、習慣、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本人の心を知るために聖書を読んでみてください。

新約聖書 使徒行伝 27章33~38節

夜が明けかけたころ、パウロは一同の者に、食事をするように勧めて言った、「あなたがたが食事もせず、見張りを続けてから、何も食べないで、きょうが十四日目に当る。だから、いま食事を取ることをお勧めする。それが、あなたがたを救うことになるのだから。たしかに髪の毛ひとすじでも、あなたがたの頭から失われることはないであろう」。

彼はこう言って、パンを取り、みんなの前で神に感謝し、それをさいて食べはじめた。そこで、みんなの者も元気づいて食事をした。舟にいたわたしたちは、合わせて二百七十六人であった。みんなの者は、じゅうぶんに食事をした後、穀物を海に投げすてて舟を軽くした。

みんなの者も元気づいて食事をした

気持ちや気分が中心でもなく、人の考えが中心でもない。パウロにも人間的には不安や心配もあったかもしれません。しかし、パウロは決してそれらを中心にはせず、神を中心にし続けたのだと思います。間もなく舟を出て、陸に向かって脱出をする。そのためには食事をとって、体力を養うことが重要でしょう。人々はとてもそんな気持ちにはなれなかったかもしれません。しかし、パウロは人々に食事をとるように勧め、自らも食べ始めました。その神を中心にして生きるパウロの姿に、人々も元気づいて食事をしたのではないでしょうか。神を中心にして生きる人がそこに一人いるということが、周りの人々へも力を与えることになることを思わされます。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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