【日本とイスラエル】供え物と禊ぎ(1)

供え物

日本と古代イスラエル人との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「神道のルーツとユダヤ3:供え物と禊ぎ」からご紹介いたします。

供え物

日本の神社においては、米、餅、酒、穀物、野菜、実、菓子、塩、水、魚(鯛など)、鳥(キジ肉など)などが、神への供え物(神饌)として拝殿に捧げられる。これらの素材はすべて、最高のものでなければならない。また調理に使う火も、火打石か摩擦熱の火起こしによる特別なものでなければならない。これらは一つの木の机の上に美しく並べられ、神官はこれを神に捧げて、祈る。またこれらの供え物は、一連の儀式が終わったのち、神官や参加者たちによって食される。そこには、神と人が共に食するという「神人共食」の意味が込められている。

古代イスラエル

古代イスラエルの幕屋や神殿においても、「至聖所」(本殿)の手前の「聖所」(拝殿)に、一つの木の机が置かれていた。その机に、地の産物である穀物でつくったパン、酒(ぶどう酒)、香などが捧げられた(旧約聖書出エジプト記25章29~30節)。それらは神への供え物であり、すべて最高のものでなければならなかった。祭司はこれらを神に捧げ、祈った。そして一連の儀式が終わったのち、神に捧げられたそれらの供え物は、祭司やその家族によって食されたのである(旧約聖書民数記18章11節)。

原点

また聖書には、かつてイスラエルの指導者モーセや長老70人らがシナイ山において神の御前に進み出て、そこで共に食事をしたという記事が載っている。

「モーセとアロン、ナダブとアビフ、それにイスラエルの長老七〇人は上っていった。そうして彼らはイスラエルの神を仰ぎ見た。御足の下にはサファイアを敷いたようなものがあり、透き通っていて青空のようであった。神はイスラエル人の指導者たちに手を下されなかったので、彼らは神を見、しかも飲み食いをした」(旧約聖書出エジプト記24章11節)。これこそ「神人共食」の原点であろう。

共に生きる

・・・聖書では、共に食べるとは、共に生きるということを表わしている。それは神が、彼ら指導者たちと共に生きることを表わしていた。もっとも聖書においては「神人共食」という言葉は使われていない。しかし、のちにユダヤ教の教典『タルムード』(西暦4世紀以後に成立した聖書の解釈書)においては、「神人共食」と同様の概念が見出されている。日本の天皇も、神(アマテラス)の前に進み出て、そこで食事をする儀式を持つ。これも神人共食の意味を持っている。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続く。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 34章25~31節

三日目になって彼らが痛みを覚えている時、ヤコブのふたりの子、すなわちデナの兄弟シメオンとレビとは、おのおのつるぎを取って、不意に町を襲い、男子をことごとく殺し、またつるぎの刃にかけてハモルとその子シケムとを殺し、シケムの家からデナを連れ出した。

そしてヤコブの子らは殺された人々をはぎ、町をかすめた。彼らが妹を汚したからである。すなわち羊、牛、ろば及び町にあるものと、野にあるもの、並びにすべての貨財を奪い、その子女と妻たちを皆とりこにし、家の中にある物をことごとくかすめた。

そこでヤコブはシメオンとレビとに言った、「あなたがたはわたしをこの地の住民、カナンびととペリジびとに忌みきらわせ、わたしに迷惑をかけた。わたしは、人数が少ないから、彼らが集まってわたしを攻め撃つならば、わたしも家族も滅ぼされるであろう」。

彼らは言った、「わたしたちの妹を遊女のように彼が扱ってよいのですか」。

何が神の御心なのか

ヤコブのふたりの息子シメオンとレビはハモルとシケムを欺き、彼らの町を滅ぼしました。ヤコブは彼らに滅ぼされるのではないかと恐れましたが、シメオンとレビは彼らの不正は許されるべきではないと主張しました。シメオンとレビの行動は神の御心にかなうことだったのでしょうか。シメオンとレビは人間的な憎しみによって、ハモルとシケムを殺したのではなかったのでしょうか。私には分かりません。簡単に判断できることでもありません。それぞれが神の前に問われることだろうと思います。それでも、私たちは人間的な思いを退け、神の御心を求め、前に進むしかありません。間違いもあるでしょう。それでも前に進みます。そうやって神の御心を見極める力を高めていくことが大切ではないでしょうか。神を中心にした経験値を高めていくことが求められています。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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