【日本とイスラエル】罪と清めの観念

古代イスラエル人と日本との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「神道のルーツとユダヤ4:穢れ、罪の観念、清潔等について」からご紹介いたします。

ひとがた(前回の続き)

日本では民間でも、古来、神社の神官が、「ひとがた」(人形)といって人の形に切った紙に人々の罪穢れを託し、それを川や海に流すということをしてきた。「ひとがた」に身をこすりつけて、罪を移し、それを水に流すのだ。

罪の処分

このように古代の日本人は、罪の処分をきちんとしなければ新しい年を迎え得ないと思った。そしてその仕方は、何かのものに罪を託し、それを遠くに追いやるというものであった。日本には、「流しびな」の風習もある。ひな人形に人々の罪を託し、それを川や海に流して、遠くに追いやるのである。「流しびな」は一種の身代わりなのだ。「流しびな」も、「ひとがた」と同じ観念から来ている。

ひな祭

「ひな祭」のときの「ひな人形」も、もとは「ひとがた」であり、体をなでて身の穢れをそれに負わせ、海や川に流す風習であった。これを飾って遊んだりする風習が生じ、ひな人形になり、ひな祭になったのだ。ひな祭の起源は、流しびなである。

アザゼルのやぎ

こうした日本の風習は、旧約聖書にある思想とまったく同じである。とりわけ旧約聖書レビ記に書かれてある「アザゼルのやぎ」の風習によく似ている。アザゼルのやぎとは、イスラエルの大祭司が神殿において行った儀式であった。やぎの頭に手を置いて祈り、そのやぎにイスラエルの人々の罪を移す。つぎに、やぎを荒野に連れていき、やぎが地平線のかなたに消えていくのを見届けた。

罪の身代わり

このやぎは一種の身代わりなのだ。このとき、やぎと共に民の罪も見えないところに運び込まれ、神ももはや私たちの罪をご覧にならないと感謝したのである。そういう儀式を毎年行なった(旧約聖書レビ記16章)。

タシュリック

現在は、ユダヤ人は神殿を持たないので、この「アザゼルのやぎ」の風習は持たないが、その代わり、「タシュリック」等の風習を持っている。タシュリックでは、ユダヤ暦第7月の1日に、各自が手に小石を一つずつ持って、池や川や海へ行く。その間、小石の温度と手の温度が同じになるまで握りしめている。そして水のあるところに来ると、リーダーは皆にこう言う。「では、みなさんの心にある苦い思い、いやな思い、人には言いたくない罪など全部、思い出して下さい。そうして、それらを2つの小石に託して、小石と共に、なるべく遠く深いところに投げ込みましょう。聖書にこう書かれています。『もう一度、私たちをあわれみ、私たちの咎を踏みつけて、すべての罪を海の深みに投げ入れて下さい』(旧約聖書ミカ書7章19節)。私たちも、象徴的にこの小石を投げ入れることによって、この祈りを神様に届けたいと思います」。このように言って、小石に罪を託し、罪を遠くに追いやるということをする。この小石も身代わりである。・・・

古代ユダヤ教と日本神道

このようにタシュリックといい、アザゼルのやぎといい、日本の大祓いといい、流しびなといい、みな基本的に同じ考えに基づいている。これほどに、古代ユダヤ教と日本神道はよく似ているのだ。これほど似ている宗教が、ほかに世界にあるだろうか。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の経典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 39章1~6節

さてヨセフは連れられてエジプトに下ったが、パロの役人で侍衛長であったエジプトびとポテパルは、彼をそこに連れ下ったイシマエルびとらの手から買い取った。主がヨセフと共におられたので、彼は幸運な者となり、その主人エジプトびとの家におった。

その主人は主が彼とともにおられることと、主が彼の手のすることをすべて栄えさせられるのを見た。そこで、ヨセフは彼の前に恵みを得、そのそば近く仕えた。彼はヨセフに家をつかさどらせ、持ち物をみな彼の手にゆだねた。

彼がヨセフに家とすべての持ち物をつかさどらせた時から、主はヨセフのゆえにそのエジプトびとの家を恵まれたので、主の恵みは彼の家と畑とにあるすべての持ち物に及んだ。そこで彼は持ち物をみなヨセフの手にゆだねて、自分が食べる物のほかは、何をも顧みなかった。

主がヨセフとともにおられた

ヨセフは神を中心にして生きる者だったのでしょう。主なる神はヨセフとともにおられたと記されています。それゆえにヨセフは幸運な者となり、やることなすこと、すべて祝福されました。エジプト人の主人はそれを見逃さなかったようです。神を知っていたかどうかは分かりませんが、ヨセフのやることは祝福されることは分かったようです。自己中心、人間中心を退け、神に立ち返り、神を中心にして生きる者が、この地上にどんな祝福をもたらすことになることか思わされます。彼自身も幸運な者ですが、その恵みは彼だけにとどまらないことが分かります。

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目次
一章 世界から称賛される日本人の国民性
二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
六章 「人間関係」
七章 「子供の教育」
八章 「恋愛・結婚」

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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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