【日本とイスラエル】古事記と聖書(3)

日本と古代イスラエル人との関連について、久保有政氏のYouTube動画解説「古事記と聖書」からご紹介いたします。

天地創造

古事記をみると、この造化三神のことが述べられたあと、二柱の神様が現れる。神道では神の数を数える際に「ひとり、ふたり・・・」とは言わず、「一柱の神、二柱の神・・・」という。その二柱の神とは、①宇摩志阿斯訶備比古遅(うましあしかびひこぢ)、②天之常立(あめのとこたち)という神様である。難しい名前だが、・・・宇摩志阿斯訶備比古遅とは地面、大地のことである。天之常立は天のことだ。つまりこれは、地と天を、擬人化ならぬ「擬神化」して、神になぞらえて表現したものにほかならない。

創世記

宇摩志阿斯訶備比古遅は、神話学者の説明によると、まだ泥の状態であった混沌とした大地のことだという。一方、天之常立とは、天を成り立たせているエネルギーのことで、天のことである。聖書にも、創世記の一番初めに、「はじめに神は天と地とを創造された。地は形なく、むなしかった」と書かれている。この「天と、むなしかった地」という部分を、古事記では、擬人化ならぬ擬神化をして、神になぞらえて表現しているのである。つまり、はじめに造化三神が天と地を創造した、ということを言い表している。(久保有政氏の解説からの引用は次回に続きます。)

聖書を読みましょう

それでは今日も聖書の続きを読みましょう。聖書は、古代イスラエル系渡来人によってもたらされた日本の文化、伝統、習慣、信仰、国民性のルーツです。キリスト教の教典としてではなく、日本の原点を知るために聖書を読んでみてください。

旧約聖書 創世記 24章34~49節

そこで彼は言った、「わたしはアブラハムのしもべです。主はわたしの主人を大いに祝福して、大いなる者とされました。主はまた彼に羊、牛、銀、金、男女の奴隷、らくだ、ろばを与えられました。主人の妻サラは年老いてから、主人に男の子を産みました。主人はその所有を皆これに与えました。

ところで主人はわたしに誓わせて言いました、『わたしの住んでいる地のカナンびとの娘を、わたしの子の妻にめとってはならない。おまえはわたしの父の家、親族の所へ行って、わたしの子に妻をめとらなければならない』。

わたしは主人に言いました、『もしその女がわたしについてこない時はどういたしましょうか』。

主人はわたしに言いました、『わたしの仕えている主は、み使をおまえと一緒につかわして、おまえの旅にさいわいを与えられるであろう。おまえはわたしの親族、わたしの父の家からわたしの子に妻をめとらなければならない。そのとき、おまえはわたしにした誓いから解かれるであろう。

またおまえがわたしの親族に行く時、彼らがおまえにその娘を与えないなら、おまえはわたしにした誓いから解かれるであろう』。

わたしはきょう、泉のところにきて言いました、『主人アブラハムの神、主よ、どうか今わたしのゆく道にさいわいを与えてください。わたしはこの泉のそばに立っていますが、水をくみに出てくる娘に向かって、「お願いです。あなたの水がめの水を少し飲ませてください」と言い、「お飲みください。あなたのらくだのためにも、くみましょう」とわたしに言うなら、その娘こそ、主がわたしの主人の子のために定められた女ということにしてください』。

わたしが心のうちでそう言い終わらないうちに、リベカが水がめを肩に載せて出てきて、水をくみに泉に降りたので、わたしは『お願いです、飲ませてください』と言いますと、彼女は急いで水がめを肩からおろし、『お飲みください。わたしはあなたのらくだにも飲ませましょう』と言いました。それでわたしは飲みましたが、彼女はらくだにも飲ませました。

わたしは彼女に尋ねて、『あなたはだれの娘ですか』と言いますと、『ナホルとその妻ミルカの子ベトエルの娘です』と答えました。そこでわたしは彼女の鼻に鼻輪をつけ、手に腕輪をつけました。

そしてわたしは頭をさげて主を拝し、主人アブラハムの神、主をほめたたえました。主は主人の兄弟の娘を子にめとらせようと、わたしを正しい道に導かれたからです。

あなたがたが、もしわたしの主人にいつくしみと、まことを尽くそうと思われるなら、そうとわたしにお話しください。そうでなければ、そうでないとお話しください。それによってわたしは右か左に決めましょう」。

神に従う

アブラハムのしもべは事の顛末をラバンに話しました。その話は事実をありのままに伝えるものであり、ラバンの返事をどちらかに誘導しよう、誘導したいという意図はまるで感じられません。しもべ自身はこれまでの顛末から、これは間違いなく神様の導きだと受け止めているようですが、だからと言って、自分の人間的な思いで、これを無理やりに進めようとはしていません。すべての事実を客観的に伝え、それをラバンはどう受け止めるのか、その判断を聞きたいという態度です。その上で、ラバンもこれを神の導きと受け止めるのであれば、それで良し。もし、そうでなければ、それも良しという態度のようです。事ここに至ってなお、しもべは人間中心を退け、ひたすらに神の御心だけがなるように、人間的な思いは排除して、ただ神に従いたいという態度であると感じます。神を中心にして歩む、それはとても重要な態度ではないでしょうか。

いかがでしたか

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目次
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二章 日本人の宗教観
三章 古代日本にやって来たユダヤ系渡来人の影響
四章 日本人の信仰
五章 「人生の目的」
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目次
第一章 学園の日常
第二章 イエスの教え
第三章 神と共に生きる
第四章 私が得たもの
第五章 古代ユダヤ人によって日本にもたらされた信仰
第六章 日本人の幸せ
第七章 日本の危機
第八章 求められているもの
第九章 信じるということ
第十章 宗教ではない
第十一章 日本人の宗教観
第十二章 現実逃避なのか
第十三章 神と共に生きる

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