子供にはどういう人になって欲しいのでしょうか

ルーペを持った女の子

それが明確であれば

金曜日は子供の教育について考えています。子供にはどういう人になって欲しいと思っていますか。それが明確であれば、どう教育したら良いかも分かって来るでしょう。将来の職業、性格、能力、習慣などについて、そのためには子供の時にどうすべきか、やっておくべき事もそれぞれあると思います。

全ての人に共通すること

しかし、たとえ将来どのような職業に就くとしても、またどのような性格の子供になって欲しいと願うとしても、幸せな人生を送る上で、全ての人に共通していることは神様を中心として生きることだと私は思います。ですから、神様を中心にして生きることができるように教育することは全ての子供にとって最高の贈り物になると私は確信しています。

問題の根源は自己中心

結局、全ての問題の原因は自己中心に行き着くと思います。そのイライラも、その不満も、不幸の原因は実は状況でも環境でもありません。もちろん自分で変えることができる環境、状況は変えるべきだと思いますが、自分で変えることができない事は受け入れるしかないと思います。

神様を中心にすることが全ての問題の解決

現実を受け入れる力も、困難を乗り越える力も、正しく生きる尊厳も、全ては神様を中心にするところから出て来るものだと思います。ですから、子供に、小さい内から自己中心を止めさせ、神様を中心にして生きることを教える事は、誰も奪うことのできない幸せを与えることになると思います。

親自身がその価値観の幸いを知っていること

「子育ては親育て」という言葉がありますが、子供に神様を中心にして生きることを教えるためには、親自身がその価値観に生きる喜びを知っていれば、なお良いことだと思いますが、子供に、自己中心ではなく、神様を中心にして生きることを教える事を通して、親自身がその価値と喜びを最も実感するのもまた事実だと思います。

子供に考えさせる教育

子供が嘘をつく時、それは神様が喜ばれることか子供に考えさせてみてください。子供が兄弟喧嘩をする時、神様が喜ばれることは何かを子供に考えさせてみてください。困っている人を見かけた時、何が神様に喜ばれることかを子供に考えさせてみてください。このようにして、やがて子供が自分で神様が喜ばれることは何かと考えることができるように教え、励ますようにすると良いと思います。

それでは今日も聖書の続きを読み、神様が喜ばれる生き方について考えてみましょう。

新約聖書 使徒の働き 11章27節~12章5節

そのころ、預言者たちがエルサレムからアンテオケに下って来た。その中のひとりでアガボという人が立って、世界中に大ききんが起こると御霊によって預言したが、はたしてそれがクラウデオの治世に起こった。

そこで、弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。彼らはそれを実行して、バルナバとサウロの手によって長老たちに送った。

そのころ、ヘロデ王は、教会の中のある人々を苦しめようとして、その手を伸ばし、ヨハネの兄弟ヤコブを剣で殺した。それがユダヤ人の気に入ったのを見て、次にはペテロをも捕らえにかかった。

それは、種なしパンの祝いの時期であった。ヘロデはペテロを捕らえて牢に入れ、四人一組の兵士四組に引き渡して監視させた。それは、過越の祭りの後に、民の前に引き出す考えであったからである。

こうしてペテロは牢に閉じ込められていた。教会は彼のために、神に熱心に祈り続けていた。

アンテオケの教会とエルサレムの教会

アンテオケの教会にはギリシヤ語を使うユダヤ人や多くの異邦人もいたと考えられます。それはエルサレムにいるイエスの弟子たちを中心としたヘブル語を使うユダヤ人とは随分違う価値観、文化を持つ人たちだったと考えられます。

兄弟という一体感

それでもイエスをメシヤとして受け入れ、ユダヤ教の慣習ではなく、神様を中心にして生きるという点においてエルサレムの教会の人々とは兄弟だという一体感を持っていたのでしょう。大ききんに際し、救援物資をエルサレムの教会に送ることにしました。

メリットもあるかもしれない

教会というグループを形成することは神様を中心として生きるための絶対条件ではないと私は思いますが、救援物資を送って具体的に助けるというのは、グループという一体感から来るメリットなのかもしれません。もちろん、グループでなくても、困っている人がいれば助けるべきだと思います。

異質なグループ

そのころ、ヘロデ王はヤコブを殺し、それがユダヤ人の気に入ったのを見て、ペテロも捕らえたとあります。当時、イエスの弟子たちを中心とするグループはヘブル語を使うユダヤ人ではありましたが、同じヘブル語を使うユダヤ人の間でも異質なグループとなっていたのではないかと思わされます。

大切なことは何か

しかし、そのような異質なグループを作ることではなく、ユダヤ人の間で、ユダヤ人としての生活をしながら、単にユダヤ教の慣習に従って生活することではなく、神様の思いや願いを中心にして生きることこそが幸いな生き方だということを示すことができたら、なお良かったのではないかと思います。

投稿者: 吉村 忠敏

全ての問題の原因は人間中心、自己中心です。人間中心、自己中心を退けて、神に立ち帰って正しく生きるなら、どんな問題も解決します。しかし、人は生まれながらに人間中心、自己中心であり、そのことに気づいていないことも多々あります。だから毎日神に祈り、聖書を読むことをお勧めします。それは必ずしもキリスト教徒になることではありません。神を中心とした正しい生き方は本当の日本人の心を取り戻すことです。

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